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円通院 瑞巌寺その2

 みちのくシリーズ第6弾。今回のシリーズはこれで最終回です。最後は、瑞巌寺に隣接する塔頭、円通院(えんつういん)です。伊達政宗の孫の光宗の菩提を弔う寺です。
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 左上写真の門をくぐってすぐ左に、右上の写真のような石庭があります。大きくはありませんが、とても美しく整備された庭です。
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 石庭のそばにちょっとした休憩所のようなところがあり、そこの丸い窓からのぞいた庭もなかなかのものです(左上写真)。
 石庭を過ぎて少し奥に行くと右上の建物があります。三慧殿(さんけいでん)といい、1646年建造です。19歳の若さで亡くなった政宗の孫光宗を弔うための建物です。重文です。
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 お堂の中はがらんとした板の間になっており、そこに左上のような立派な厨子があり、その中に馬に乗る伊達光宗の像が安置されています。写真でわかるとおり、ガラス越しにしか見ることができず、映り込みの激しい写真になっています。この厨子も建物と同年代に作成されたもののようです。写真ではあまりよく見えませんが、厨子の柱や梁の部分の模様は洋バラやダイヤ模様、スペード模様など、西洋とのつながりを示している意匠とのことです。
 三慧殿から裏に廻ると右上のような洞窟があり、そこにたくさんの墓石や地蔵が並んでいます。松島という場所がこのように全体的に岩山と海に挟まれた場所であることがよくわかります。
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 左上の写真は大悲亭といって円通院の本堂にあたります。1647年にこの地に移築されたもので、先の三慧殿は十分なのにこの建物は松島町の指定文化財なのかはよくわかりません。
 右上の写真はこの大悲亭の向かって右側の部屋に安置されている本尊聖観世音菩薩座像です。像高63㎝とあまり大きくはありませんが、鎌倉時代の作ですばらしい透かし彫りの光背を持つ、りりしい表情の美しい仏様です。松島町指定文化財です。
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 最後におまけとして、五大堂をアップしておきます。瑞巌寺、円通院からそのまま海の方に出るとそこはもう日本三景「松島」です。その海に浮かぶ小さな島にお堂を建て、左の写真のように橋で結んだのが五大堂です。そして、右上の写真がその五大堂です。本当に小さな島にこれだけ建っています。草創は坂上田村麻呂まで遡るようですが、現在の建物は1604年に政宗の命により建立されたもので、正面上の蟇股などの意匠が有名なのだそうです。重文です。その名の通り中には五大明王が安置されているようですが、中を見ることはできませんでした。
 瑞巌寺、円通院、五大堂と近くに位置していますので一度に見ることができます。平成30年まで続く計画になっている大修理が終わった暁に再び訪れたいものです。
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 これで2013年夏に訪れた東北関連のエントリーは終了です。実は今回東北(岩手、宮城、福島)を訪れたもう一つの大きな理由は、右の伊藤若冲(江戸時代に活躍した我が国が誇る絵師)の展覧会を福島県立美術館へ見に行くというものでした。おそらく若冲の作品の中で最も有名であろう、鳥獣花木図屏風を所有しているアメリカのジョー・プライス氏が震災で苦しむ東北を元気にしたいと、震災直後から準備を進め、今回岩手県、宮城県、福島県と巡回していたものです。プライス氏自身、この絵を日本に持ち込むのはこれが最後だと言っていますので、何としてもいかねばなるまいということで仕事の都合により福島での展覧会に参加したという次第です。会場となった福島県美術館は駐車場の所々に何と「放射線量の高い場所がありますのでご注意ください」という張り紙がありました。何をどのように注意すればよいのか全く分かりませんが、現在もそういう状況だということです。しかし、会場は大変な賑わいでした。若冲人気恐るべし。プライス・コレクションでしか見ることができない傑作の数々を思う存分堪能することができました。伊藤若冲は相国寺の項でも述べましたが、仏教にも大変密接な関係を持っていた絵師なのでフライヤー(拡大なしなので許して!)とともにコメントさせてもらいました。
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青龍山瑞巌寺

 みちのくシリーズ第5弾、宮城県は松島町にある歌に名高い「瑞巌寺」(ずいがんじ)です。瑞巌寺は、現在は臨済宗妙心寺派の禅寺となっていますが、もともとは平安時代初期(828年)慈覚大師円仁により天台宗の寺として開創されました。すでにエントリーしている中尊寺も同じく慈覚大師円仁の開山で、あちらは850年です。
 その後紆余曲折あり、江戸時代初期伊達政宗により現在の大伽藍ができたということです。ロケーションは、日本三景に数えられる松島の海岸線にほど近い場所にあり、後ろは山になっており決してアクセスのよい場所ではありません。海岸に出る道路はかなり混んでいました。瑞巌寺は今回のツアーの主目的地ではありませんでしたが、仙台に来たら瑞巌寺ぐらい寄っとかないとというノリであまり下調べをせずに訪れたのでした。
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 瑞巌寺にはなんと国宝の本堂があります。1609年建立のそれはそれは立派なお堂だそうな。これが左上の通り、解体修理中なのでした。震災の影響というわけではなく、平成20年から平成30年という途方もないスケジュールで修理が行われているのでした。残念。ということで、公開されている場所は限られていますが、普段は本堂に安置されているものをそこで見ることができます。右上は公開されている庫裡です。この禅宗様式の庫裡もなんと国宝です。本堂と同様、江戸時代の初期に伊達政宗により建立されたものです。この裏に大書院がつながっており、この大書院が現在の特別公開のメインのようです。
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 庫裡に入ると正面に左上の観音様が迎えてくれます。光雲観音といい、江戸末期に生まれた高村光雲という仏師の作品です。この光雲という人は上野の西郷隆盛像や皇居外苑の楠正成像を造った人なのだそうです。右上は江戸時代の駕籠で、瑞巌寺の住職を乗せたものです。
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 庫裡から大書院につながる通路には、他にも左上の写真のように元来修理中の本堂にあったものが展示されています。ちなみにこれは羅漢の間の位牌といって、伊達政宗に殉じた家臣の位牌です。大書院には、これも元々本堂にある本尊観世音菩薩像、政宗の位牌、政宗の子忠宗の位牌、三人の開山禅師の木造などが公開されています。
 右上は庫裡から陽徳院御霊屋という建造物につながる道ですが、巨大な木の根っこみたいなのが堤防のようになっていてそこをくり抜いて通路になっている面白い場所です。
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 上の写真は左右どちらも陽徳院御霊屋という建物です。寶華殿(ほうげでん)とも呼ばれています。伊達政宗の正室陽徳院の御廟です。平成21年に再建された重文建造物です。建物の胴体は2.7m四方ですのでそれほど大きくはありませんが、日光東照宮にも通じる絢爛豪華な意匠になっています。
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 陽徳院御霊屋から庫裡の方に戻り庫裡の向かい側にあるのが左上の青龍殿という宝物館です。私にはあまり興味をそそられない内容でした(汗)。
 右上の写真は敷地の外れにある法身窟です。岩の洞窟になっており、禅僧が修行をしたのだと思います。中にはたくさんの石でできた墓碑や位牌のようなものがあります。表の左右にある石碑には線で観音様が彫られています。
 伊達政宗や瑞巌寺の歴史についてもう少し知っていればもっと感動したのだろうと思いますが、何より国宝の本堂が見られなかったのが悔やまれます。再び訪れることがあるのだろうか。

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達谷窟毘沙門堂

 みちのくシリーズ第4弾、達谷窟毘沙門堂です。
 達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)は、すでにエントリーしている毛越寺から一関に向かって車でものの10分も走った場所にあり、何もない田舎道を走っていると突然現れる印象です。しかし、その威容は圧巻。実に興味深い建物です。もともと801年に坂上田村麻呂が平定した蝦夷の輩がこの窟屋に陣を張っており、田村麻呂がそれらを成敗した後、この地に戦勝の礼に毘沙門天を祀るために清水寺のような懸造りのお堂を建立したというのが発祥です。坂上田村麻呂って歴史で習ったような気がしますね。源頼朝も平泉で義経を討ったあと、ここに立ち寄った記録があるようです。その後、堂は何度か消失、再建を繰り返し、現在のお堂は昭和36年の再建です。ちなみに、ユネスコ世界遺産「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」への登録は延期され、現在は暫定リストに挙がっています。
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 道路わきの駐車場に車を停めて、道を渡るともう左上の鳥居があります。「たっこくのいわや」とルビが振られていますが、漢字だけではとても読めません。石の鳥居をくぐると、右上の朱塗りの立派な鳥居があります。厳島神社の大鳥居のようです(違うか)。鳥居の向うに、もう岸壁にへばり付いた舞台の上に建つお堂が見えます。まさに神仏混淆の寺院です。
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 近付いていくと、このお堂がいかに奇天烈に建っているのかがよくわかります。おそらく自然にできた窟を利用して舞台を作り、その上にお堂を建てるというまさに自然との共存を高度に結実させた意匠は実にフォトジェニックです。自然の岸壁を利用して舞台を造るという手法は、関市の日龍峯寺もそうですから割とあるのかもしれません。
 右上の写真のように脇の階段からお堂の中に入ります。内部には内陣がありますが、あまり覚えていません(失笑)。名の由来となる毘沙門天はなかったと思います。奥に秘仏を収める厨子があります。
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 左上の写真はお堂を通り抜けて反対から見たところです。このさらに左の岸壁に右上写真の岩面大佛という磨崖仏があります。前九年後三年の役で亡くなった兵士たちを敵味方なく供養するために源義家が彫ったと伝えられています。顔の長さ3.6m、肩幅9.9mの巨大な磨崖仏です。
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 左上の写真は毘沙門堂を正面から見たところです。手前にあるのが蝦蟆ヶ池(がまがいけ)です。毘沙門堂から少し歩く右上の姫待不動堂などがあります。「姫待」の謂れが書かれていますが、長くなるのでカット(自爆)。
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 さらに少し歩くと左上の金堂があります。なかなか立派な建物です。平成8年にできたばかりの新しいもので、中には薬師如来がいらっしゃいます。
 右上の写真は毘沙門堂とは全く関係ありませんが、この近くにある一関市の厳美渓(げんびけい)です。何の予備知識もなく立ち寄ったのですが、大変景色のよい場所でした。近くには、「郭公だんご」といって川の上空にケーブルを渡してそこをかごが行き来して団子を運んだり料金を払ったりする、ほらよく旅番組で紹介されるあれのケーブルがかかっています。訪れたときはすでに店は閉まっていました。残念。

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観自在王院跡

 中尊寺毛越寺と続いた平泉シリーズ第3弾は、「観自在王院跡(かんじざいおういんあと)」です。毛越寺に隣接しており、中尊寺、毛越寺と同様に「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」に登録されている世界遺産です。当初は登録を見送られたのですが、2011年にめでたく登録となりました。観自在王院はもともと阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂を中心とした寺院で、平安時代後期奥州藤原氏二代目の基衡の妻が建立したものです。基衡が整備した毛越寺と仲良く隣同士に位置しています。跡というぐらいですから、堂宇は室町時代に焼失してしまいましたが、舞鶴ヶ池という池を中心とした浄土庭園は遺構を発掘し、ほぼ当時のまま復元されています。こちらは入場ゲートも柵もなく、パッと見、池と広大な芝生広場を持つきれいな公園です。
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 左上は、毛越寺と観自在王院跡の位置関係を示すもので、左が毛越寺の浄土庭園、右が観自在王院跡になります。観自在王院の広大な敷地がわかろうってもんです。ちょうど両者の中間に縦長の長方形のように見える箇所が、右上の写真の車宿跡及び土塁跡です。手前の砂利の部分が車宿跡でその向こうに盛り上がっているのが土塁跡です。
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 舞鶴ヶ池を中心とした庭園はとても美しく(左右上写真)、池の周りを散歩するだけでもとても気持ちのいい場所です。
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 池のほとりには、再建された大小の阿弥陀堂があります。左上の写真の左が大阿弥陀堂、右が小阿弥陀堂です。享保年間に再建されたとのことですので、結構古いものです。どちらもそれほど大きな建物ではなく、建物らしいものはこれだけです。右上の写真の右奥の木々の向うに大小阿弥陀堂は建っています。
 大変美しい庭園で、国の名勝にも指定されている歴史ある史跡ですが、隣に毛越寺があるというのに歩いている人は全くありません。のんびりするには最高の場所です。

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毛越寺

 平泉シリーズ第2弾は毛越寺です。中尊寺と同様平泉にあり、同じく慈覚大師円仁により850年に創建されたと言われていますが、奥州藤原氏二代基衡と三代秀衡の時代に大伽藍として造営されました。特に基衡の代(1050~1056)に飛躍的に大きくなったようです。最盛時は堂塔40、僧坊500を数え中尊寺をもしのぐ大伽藍だったとのことです。その後鎌倉時代、戦国時代に大火に遭い、建物はすべて焼失してしまいました。しかし、大泉が池を中心とした庭園と堂塔の礎石だけは当時のまま変わらず残っています。2011年に中尊寺らとともに世界文化遺産に「平泉ー仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として登録されました。中尊寺からは車で10分程度の距離にあります。
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 境内は左上の図のようになっており、大泉が池を中心に庭園とかつての伽藍の礎石がメインです。建物らしいものは図の右側にある本堂と宝物館などくらいです。右上が入り口で、図で見ると池の右上端あたりです。
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 入り口を入ると広い境内があり、その正面突き当たりに左上の大きな本堂があります。平安時代の様式に則って平成元年に建立されたごく新しい建物です。右上は本尊の薬師如来立像で、平安時代の作と言われています。
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 本堂に向かって右に大泉が池と庭園が広がります。左上は一番最初の図で言うと④南大門あたりから上に向かって撮ったアングルの大泉が池です。写真の真ん中で池の中に石が立っているのはその名も「池中立石(ちちゅうたていし)」です。その左に見えるのは池に浮かぶ船で、観光客を乗せるようです。
 右上は図の⑩金堂円隆寺跡です。礎石しか残っていませんが、両翼に回廊を持ち、毛越寺の中心を成す建物だったようです。本尊は焼失しましたが、京都の仏師に作らせた丈六の薬師如来であったということです。
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 左上の写真は図の⑦開山堂です。毛越寺の開祖慈覚大師円仁を祀っている場所です。右上がその内部です。中心にあるのが開祖円仁の像で、向かって左側に藤原氏三代の肖像が懸かっています。
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 左上は⑭常行堂とその前に鎮座する可愛らしい石仏です。右上も同じく常行堂です。この建物は1700年代に藩主の伊達氏の武運長久を祈って再建されたものです。
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 常行堂の中には左上の宝冠阿弥陀如来がいらっしゃいます。あまり大きなものではありません。また制作年代等も書いてないのであまり古いものではないのかもしれません。建物の奥に秘仏摩多羅神というものが安置されており、33年に一度御開帳とのことです。
 右上は常行堂の脇を流れる「遣水(やりみず)」です。遣水とは池に水を流す水路のことですが、玉石を敷き詰め、水を流すための様々な工夫とそれを美しく見せるための意匠が凝らされたものです。
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 上の写真は左右とも最も毛越寺らしいと言える写真です。池自体もその場所により様々なストーリーと浄土の世界観を表しています。己のイマジネーションと対峙しながら回る場所です。そんな場所を世界遺産に登録するなんざ、ユネスコもなかなか憎いことをしますな。

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中尊寺

 正式には関山(かんざん)中尊寺。もちろん、岩手県は平泉町にある世界遺産の寺です。奥州藤原三代の栄華を偲ばせる金色堂があまりに有名な大伽藍です。以前から一度は行きたいと思っていましたが、平成25年8月初めて訪れました。
 まず、簡単に中尊寺のおさらいを。中尊寺は天台宗の寺院で慈覚大師円仁により850年に開山されました。奥州藤原氏初代清衡(きよひら)が前九年・後三年の役で亡くなった侍たちを供養するために造営したのが実質的な中尊寺の礎です。その後堂宇のほとんどは焼失し、現在唯一残っている創建当時の建物が金色堂というわけです。2001年、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として毛越寺(もうつうじ)や観自在王院跡などともにユネスコの世界文化遺産に登録されました。以上概要でした。
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 左上写真は境内の入口です。写真からもわかるように、いかにもな参道を登っていくことになります。敷地は広大で、木々がうっそうと茂る参道に沿ってたくさんのお堂が建っています。お目当ての金色堂は、敷地のほぼ終点に位置していますので、並居る堂宇を全部無視してとりあえず金色堂を目指します。途中、讃衡蔵という巨大な宝物館がありますので、そこで共通の入場券を購入して入ります。
 で、誰が撮ってもこうなってしまうという右上の金色堂(国宝)です。まあ、実際は写真に写るのは金色堂ではなく、金色堂を覆っている覆堂(おおいどう)です。初代清衡がまだ存命中、自分の廟所として建立したものです(1124年)。覆堂の中は決して明るくはありませんし、金色堂そのものもそれほど大きなものではありませんが(床面積が6m四方)、その存在感、ありがたさ、美しさはこの世のものではありません。清衡が絶大な資金を背景に、京都の藤原氏の贅沢な邸宅を模して仕上げた、唯一無二の皆金色(かいこんじき)のお堂です。内部には須弥壇があり、中央壇と向かって左側の壇(西南壇)と右側の壇(西北壇)の3つの壇で構成されます。中央壇の中央に本尊阿弥陀如来、脇侍に観音菩薩・勢至菩薩、さらに六体の地蔵菩薩と持国天・増長天が周りを固めています。そして、これと同じ構成、同じ配置で西南壇も西北壇もそれぞれ11体の仏像が配置されています(正確には西南壇の増長天のみ欠落しています)。もともとは清衡の時代に中央壇のみ造営されたのですが、後に二代基衡、三代秀衡の死に合わせて左右の壇も造営されたものです。仏像は定朝の作とされ、これらすべての仏像(32体)及びそれぞれの壇の上の天蓋が国宝です。文字通り定朝様の阿弥陀如来をはじめ、大変穏やかで優しい顔をされた仏様たちです。すべての仏像が当然ながらまばゆいばかりの金色で、清衡の浄土への祈りが体現されています。
 さらに、内部の柱や須弥壇に惜しげもなく施された螺鈿細工(夜行貝を細工した装飾)や蒔絵(漆の上に金銀の金属粉を蒔いて定着させた装飾)等は大変精緻で、特に柱に浮き出る蒔絵の仏像の絵などは双眼鏡などで見ると迫力倍増です。かの藤原道長すら成しえなかった究極の阿弥陀堂をこのみちのくの一武将が完成してしまったというのが驚きです。
 もう一つこの金色堂が単なる阿弥陀堂でない特徴が、三つの須弥壇の下に清衡、基衡、秀衡の3人の歴代当主のミイラが安置されていることです。さらに4代目である泰衡(義経を死に追いやったことで知られる)の首級もあります。まさに廟所でもあり、この場所が浄土そのものであるということです。
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 金色堂を出ると、その先に左上写真の経蔵があります。重文です。鎌倉時代の再建のようですが、中に国宝の紺紙金銀字公書一切経や同じく国宝の螺鈿八角須弥壇があった建物です。右上の写真は旧覆堂です。室町時代の建物で、現在の鉄筋コンクリート製の覆堂が1965年にできるまでずっと金色堂を守ってきた建物です。中に入ることができます。
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 ここから一気に来た道を戻っていきます。参道には行きに飛ばした堂宇がたくさんあり、とりあえず一つ一つ寄っていきます。ただし、あまり謂れを調べたり、じっくり細かいところまで見ていく気持ちの余裕はありません(笑)。左上は大長寿院、右上は釈迦堂。
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 上の写真は白山神社能楽堂という場所です。中尊寺の鎮守として祀られています。境内に入ると右上のような能舞台があります。能楽堂です。重文になっています。ここだけ完全な神社です。
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 左上は鐘楼で、中の梵鐘は1343年製です。右上は弁財天堂の本尊の弁天様で1705年の作です。
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 左上は大日堂、右上は願成就院です。
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 左上は不動堂、右上はその本尊の不動明王です。
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 いよいよ中尊寺本坊に到着です。左上が表門です。門をくぐると右上の本堂があります。1909年建立の大きな建物です。堂内には比叡山延暦寺から分けられた不滅の法灯がともされています。欄間の部分の松の枝を模したような窓が可愛らしいです。
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 左上は薬師堂です。中には薄暗い中に小さな薬師如来立像と、それを守護する小さな十二神将が収められています。右上は観音堂です。
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 左上は通称弁慶堂と呼ばれ、この平泉で果てた主君義経を最期まで守った弁慶を祀っています。このように、行くまでは中尊寺=金色堂という認識でいましたが、結構見るべきものはたくさんあります。さらにさらに金色堂の近くには、始めに入場券を買った右上の讃衡蔵という宝物館があり、ここにもお宝が満載で、金色の堂内具や、先述の経蔵の国宝の螺鈿八角須弥壇や国宝金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図(読めません)、そして圧巻は阿弥陀如来像1体、薬師如来像2体の重文丈六仏スリーショットです。どの仏様もそれぞれに特徴があり、またそれぞれ意匠の異なる光背も楽しく、見入ってしまいます。金色堂の紹介ビデオなどの流されており、結構時間を取られます。
 ある程度時間を確保して回らないともったいない中尊寺です。

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本浄山羽賀寺

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 羽賀寺(はがじ)は、福井県小浜市にある真言宗の古刹です。創建は716年、元正天皇の勅願によるとのことですが、もちろん当時の建物はありません。左上の碑にも元正天皇の銘が記されています。この碑の後ろの建物はかなり新しく、庫裏かと思われます。この建物の前を素通りして少し山の方に向かうと右上のような参道と階段があり、それを登りきったところに本堂があります。
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 階段を登りきった正面に本堂があります(上左右写真)。ポツンと建っています。伽藍というようなものではなく、本当にポツンと建っています。室町時代の建立で、桧皮葺入母屋造で軒の勾配が大変美しい、隙のない意匠の建物です。重文です。
 一見小さく見えますが、中は外陣・内陣があり、内陣の裏まで廻れる、よくある密教系のお堂です。そしてここにお目当ての十一面観音がいらっしゃいます。
 十一面観音は内陣の厨子の中に安置されています。像高約150㎝、藤原時代の作で行基作と言われます。重文です。元正天皇の御影を写すという言い伝えがあります。彩色が多く残り、それが実にきらびやかな印象を与えます。特に裳の朱色が強烈なアイデンティティを発散しています。小さな口、優美な表情、長い腕、長い指、大変上品な像です。また、翻波式衣紋が施された裳や天衣など、大変流麗な意匠が用いられています。光背が金ぴかなのも、余計に神々しい印象に一役買っています。
 厨子の脇には、向かって左に千手観音像(藤原時代、重文)、右に毘沙門天像(藤原時代、重文)、さらにその外側に延命地蔵や子安地蔵などが並びます。
 お約束の内陣裏に廻ると、平安時代の薬師如来坐像がちょうど厨子の真裏に安置されています。そして、人の背より少し高い位置に棚が設けられ、そこにずらずら~っと40㎝ぐらいの仏様が並んでいます。観音様の変化身33身像です。彩色豊かなフィギュアのような仏様が並ぶ姿は圧巻です。仏像としての価値はよくわかりません。
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 本堂の他には、左上の鐘楼があり、あとは本堂に登る途中に右上の池があるぐらいの小さなお寺ですが、お宝は満載です。

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高岡山瑞龍寺

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 富山県高岡市にある高岡山瑞龍寺(ずいりゅうじ)。加賀二代藩主前田利長の菩提をとむらうために三代藩主利常によって創建された寺です。完成は1663年。広大な敷地に堂々たる七堂伽藍を形成する素晴らしいお寺です。
 この寺には三つの国宝があります。山門、仏殿、法堂です。その他にも多くの重要文化財があり、北陸の宝と言える場所です。左上の写真は、山門付近から仏殿(手前)、法堂(奥)に向かって撮っています。右上の写真は山門を入り口の方角から撮っています。山門には左右に金剛力士像があります。このように綺麗な芝生が植わっているスペースと、玉砂利が広がっているスペースがあり、さらにその周りをぐるっと大庫裏や禅堂を回廊でつなぎ、それはまるで法隆寺のようでもあります。とにかく広い伽藍です。
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 左上の写真は仏殿です。入母屋二層の大変安定感のある立派な建物です。中には本尊の釈迦三尊(釈迦如来、文殊・普賢菩薩)をまつります。このお寺のいいところは、一部を除いてほとんどどこを撮影しても良いところです。
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 仏殿の中は吹き抜けになっていて、内部からも外からもこの複雑で美しい軒の組物(三手先)を見ることができます。
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 左上が法堂で、この伽藍の一番奥ということになります。この法堂の正面に向かってやや右に般若の間というのがあり、ここに烏瑟沙摩(うすさま)明王像というのがあり、これが不動明王のように憤怒の表情に火焔をまとっているのですが、左手で左足をつかむ奇妙なポーズをとっています。この仏様だけ撮影禁止でした。このそばに寺の売店があるのですが、ここにいらっしゃった女性二人の方がやさしく「どちらからいらしたんですか」と声をかけてくださり、瑞龍寺の他に高岡で観ておくべき場所を地図とともに教えていただけました。大変ありがたかったです。
 右上は大庫裏で、伽藍をぐるっと囲む回廊の途中にあります。
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 左上は回廊の内部です。大庫裏と反対側の回廊の途中には禅堂があります。右上は石廟で、前田利長、利家、織田信長、信忠などの分骨廟となっています。
 ちなみに高岡市へは北陸道と東海北陸道と能越道が交差する小矢部ジャンクションから能越道にはいるのですが、この能越道が果てしなく続く片道2車線の直線にほとんど走る車がいないアウトバーン状態で、ついつい速度が音速を超えてしまうんじゃないかと心配になります。

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西国三十三ヶ所 観音霊場の祈りと美

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 名古屋市博物館の特別展『西国三十三ヶ所~観音霊場の祈りと美~』の最終日に滑り込みで行ってきました。最終日ということもあってかすごい人でした。もちろん全体的にはお年寄りが多いのですが、老若男女、様々な人々がいて、特に小さな子供を連れた人が結構いたのには驚きました。
 展示は相当充実していて、入場料1200円(解説のプレーヤーで500円プラス!)は伊達じゃないって感じでした(笑)。ただ、自分が勉強不足なので、絵巻とか書物とかはよくわかりません。
 特によかったのはポスターにもなっているこの清水寺の秘仏千手観音や、地元近くの谷汲山華厳寺の毘沙門天、三室戸寺の釈迦如来立像などです。清水寺の千手観音はバッグにしのばせておいた双眼鏡がとても役に立ちましたし、華厳寺の毘沙門天はその表情、頬の凹凸、甲冑の起伏が最高です。三室戸寺の釈迦如来は、裙と呼ばれる衣の表現がたまりません。また、表情もどこかおかしげです。あと、特筆すべきは、図録の立派なこと。私は人に頼まれて2冊購入したのですが、もうずっしり重い・・・。フライヤーを撮影して小さくアップするのはセーフでしょうか?

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