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大神神社

ちょっと調子に乗って連投します。大神神社は、奈良県桜井市にあり、ちょうど奈良市から天理市を抜けて明日香村に向かう途中に超巨大な鳥居が見えるのですが、あれです。ちなみに大神神社と書いて「おおみわじんじゃ」と読みます。

ここは三輪山という山を御神体とし、本殿を持たない神社として知られています。三輪山自体がパワースポットとして知られています。また、このあたりは「三輪そうめん」でも有名な場所です。主祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)です。大物主神を祀る神社の総本山であり、大和国一之宮です。

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左上の写真が大鳥居です。はるか遠くからでもその偉容をうかがうことができます。昭和61年竣功、高さ32メートルの日本一高い鳥居です。ちなみに大鳥居の周辺には三輪そうめんの店がたくさんあります。また、鳥居のすぐそばに「みむろ」という和菓子屋があり、ここの最中も有名です。地名の時は三輪と書き、神社の時は大神と書いて「おおみわ」と読ませるのはちょっとややこしいですね。

大鳥居はまだ神社そのものからは結構離れていますので、ここから歩く人は多くはないと思います。市があったり、何かの行事がない限りは右上の二の鳥居の近くまでは車で行けると思います。ここからが木々に囲まれた参道となります。

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参道を進むと、左上の写真のような鳥居(?)があります。〆柱と言うそうで、一種の結界を張る役目のようです。写真のように日本の柱に注連縄を渡したものです。

これをくぐると右上の写真の拝殿があります。前述の通り、御神体はこの拝殿の後ろにある三輪山全体なので、この建物がメインと言えます。1664年建立で、重文に指定されています。また、この拝殿の奥には重文に指定されている三つ鳥居という珍しい形式の鳥居があるようですが、見ることはできません。

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拝殿は左上のように荘厳な唐破風がついており、大変重厚で立派な建物です。パワーを感じます。この拝殿から少し下ったところに右上の祈祷殿があります。平成9年造の新しい建物ですが、広大な砂利の敷地に建ち、右に参集殿、左を儀式殿が連接し、新しさの嫌味がない大変大きく立派な建物です。

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周辺には摂社・末社(大きな神社のそばにある付属の神社)がいくつもあり、それらを巡って散策するのもよいでしょう。狭井神社という摂社に向かう途中に「大美和の杜展望台」という小高い丘があります。ここを登ると左上の看板があります。その名も「恋人の聖地」なんじゃそりゃ。ここからの見晴しは素晴らしいんです。右上の写真のように奈良盆地が一望でき、大和三山を1フレームに収めることができます。実は、この場所NHKの火野正平さんの「こころ旅」に出てきたので一度来てみたかったのです。素晴らしい眺めでした。

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左上は大神神社の摂社の一つ、狭井神社(さいじんじゃ)です。右上はその参道にある池です。大きな神社ではありませんが、三輪山の緑に囲まれ厳かに佇んでいます。実は、この狭井神社の境内の中に御神体である三輪山の登山口があります。途中の飲食、写真撮影等を禁じる旨が書かれており、ハイキング気分で登ってはいけないことを示しています。一度登ってパワーをいただきたいものです。
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橿原神宮 その2

前回のエントリーが今年(2014年)1月13日、7か月を空けたのは初めてのような気がします。特に入院をしていたわけでも、拘束されていたわけでもありません。仕事が忙しかったっちゃ忙しかったのですが、理由は「ただ何となく」です。そうこうしている間に、FC2のテキストエディターも少し変わっていました。まさに浦島太郎。とりあえず復活です。

復活第1弾は、奈良県は橿原市の橿原神宮。でたっ!まさに復活を飾るにふさわしい場所。しかも訪れたのは今年の2月11日。そう、まさに「建国記念の日」つまり紀元節であります。そもそも紀元節とは、初代天皇の神武天皇がここ橿原神宮がある場所で即位したことを記念する日です。つまり、今年で皇紀2674年を誇る我が国のまさに始まりの場所であります。数ある神社の中でもまさに別格。ちなみに、橿原神宮は一度こちらでエントリーしています。この時とはかなり違う内容になります。
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橿原神宮は、大和三山(畝傍山、耳成山、天香久山)の畝傍山の麓にあります。全体が小高い丘を背景にした森の中にあります。左上の写真のように鳥居周りの雰囲気も、以前来た時とは全然違いますねえ。

2月11日、紀元節の日にここを訪れたかった理由は、もちろん紀元節を神武天皇をお祀りするこの場所で祝いたいという思いと、もう一つは右上の写真です。そう、なんてったって初代天皇の即位をお祀りするわけですからそりゃ全国の右翼の皆さんが大集結!という噂を聞き、これは一度この目で確かめねばということに相成ったわけです。橿原神宮に向かう道からもうすでにいかにもな車がたくさんいます。下手すると奈良に向かう高速でも結構出会います。右上のようなベタな街宣車も多いですが、黒塗りのセダンにいかにも貫禄のある黒いスーツのお父さん方が乗っているというケースもかなりあります。10時過ぎに到着したのですが、意外にも駐車場が空いていて駐車することができました。ただ、警察官の数は半端ありません。駐車場ではたくさんの警官が用紙ボードを持って、おそらく駐車場に停まってるすべての自動車のナンバーをひかえています。当然私の車のナンバーも記録されたことでしょう(汗)。
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以前のエントリーでも書きましたが、南神門をくぐると広大な玉砂利のスペースがあり、その向うに左上の外拝殿があります。右端には巨大な干支の絵馬が飾られており、記念撮影スポットになっています。さらにそこから内拝殿をみると以前はただがらんとしていましたが、この日は右上のようにテントが張られて神事が行われます。ちなみに、このテント内に入るためには、5000円の玉串料が必要です。たくさんの方がおられます。
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境内の端では、左上のような銃剣道(これをやっていたのは自衛隊)や、右上の合気道(これは若い女の子がやっていました)などの武術のデモンストレーションを行っています。これだけ見てもやはり他の神社とは違います。
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境内には次々と左上のような集団がやってきて参拝をします。どの集団も大きな声で「天皇陛下万歳!」と叫びます。教育勅語を朗じて参拝する集団もあります。集団の中にはギャル風の女の子も、小学校低学年と思われる子どもなどもたくさんいます。面白いのは(面白いって言ってはいけないのか)、左上のようにこれらの集団の参拝を、一般の参拝客がまわりを囲んで見物しているということです。この風景を撮るカメラマンもたくさんいます(私もその一人ですが)。これらの集団はそれをむしろ歓迎する様子で、衆目の面前で堂々と参拝を行っていきます。「天皇陛下万歳‼」のあとに一般の参拝者から拍手が起こることもあります。

もちろん、由緒正しい官幣社ですから由緒正しい神事も行われます。右上がその一コマです。何千年も脈々と継承されてきた歴史の重みを感じることができます。
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橿原神宮のまわりには左上の写真のようなきれいな池があり、とてもいい雰囲気を醸し出しています。かと思うと、神宮の周辺の道路には、おそらく数十メートル間隔で右上のように警官が警備に当たっています。この光景が数百メートル続いています。さらにそこには音の大きさを測定する機械が設置されており、街宣車もそれを知っているのでその前を通る時だけはしゅ~っとボリュームを下げて通ります。なかなかできない社会勉強でした。
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橿原神宮からほんの5分ぐらい、畝傍の森に沿って歩くと左右上の神武天皇御陵があります。もちろん宮内庁の管理です。橿原神宮にはあれほど人がいたのに、ここを訪れる人はほとんどありません。それだけにその発するオーラは半端ではありません。なんてったって古事記や日本書紀にでてくる初代天皇の御陵なのですから。

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慈光院

 2013年12月全面的に書き換えました。
 慈光院は、大和郡山市にありちょうど奈良市街の中心部から西の京を経て、斑鳩に向かう途中にあります。それほど広大な敷地というわけでもありませんし、有名な仏像があるわけでもないのであまりメジャーではないかもしれません。しかし、名刹と呼ぶにふさわしい侘び寂びを体現する茶の湯文化満載の寺です。
 慈光院は1663年、大名の片桐石見守貞昌(石州)によって建立された、臨済宗大徳寺派の寺院です。この通称石州という人物、千利休の流れを汲み、後の石州流という茶道を確立したその道では著名な人物のようです。
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 少し坂を登った場所に建っています。その坂の参道を車で登って駐車場に停めることができるのですが、この参道が超細くて両脇には立派な生垣が迫っており、私はそこを車で登る勇気はありませんでした(笑)。で、別の場所に車を停めて参道を登ると左上写真の「一之門」があります。ここからすでに雰囲気があります。左の石碑には「茶道石州流発祥之寺」と記されています。一之門をくぐると右上のような参道があります。両脇が土手のようになっており、その上に木が茂ってそれが影を作り、木漏れ日との間に美しいコントラスを作っています。
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 参道の終点には左上の茨木城楼門があります。もともと石州の伯父が城主をつとめていた摂津茨木城の楼門をここに移築したものです。しかし、楼門というには書院のようになっていたり、茅葺になっていたりとかなり改造されたようです。右上の写真は、境内側からみた楼門です。外から見ると逆光の効果もあり、なかなかシャープに見えるのですが、内から見るとなんとも可愛らしい造形をしています。この門だけでも和ませてくれます。
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 楼門を抜けると右手に書院が見えます。左上の写真です。寺務所で受け付けをして書院に上がります。右上が書院から庭を見た図です。書院は畳と縁側でできており、たくさんの客が同時にお茶をいただくことができます。また、自由に庭園に出ることができます。
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 書院では左上のようなお抹茶とお菓子をいただきます。開放的な作りですばらしい庭園を望みながらお茶をいただくのは大変結構なものです。書院の一角には右上のような小さな茶室もしつらえてあります。よくある小さい茶室ですが、この茶室自体が重文です。
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 書院から庭に出ると、すばらしく手入れの行き届いた庭園が堪能できます。ながめるだけでなく、歩いて散策できるのでとても気持ちの良い庭です。左上の写真は庭の側から書院を見たところですが、美しい庭、美しい植え込み、そして茅葺の風情満点の書院のバランスが素晴らしい侘び寂びを演出しています。書院全体が重文です。また庭園は史跡及び名勝に指定されています。
 この書院の裏側に本堂があります。右上の写真は本堂につながる廊下にある窓です。いわゆる借景というやつでしょうか。まさに天然の景色を切り取って額に収めた意匠になっており、大変美しいです。
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 本堂は昭和59年建立の新しい建物です。その中心が左上の方丈です。ここに本尊が安置されています。正面に三体の像があり、真ん中が本尊である釈迦如来像です。藤原期と記されています。端正な顔立ちで全体のバランスがとてもよく、どこか知的な印象の像です。向かって左が流祖である石州の像、向かって右が大徳寺開山の玉舟和尚の像です。
 方丈の天井には、右上のような墨絵の龍が描かれています。入江正巳画伯によるもので本堂の建立時に描かれたもののようです。なお、ここはいわゆる鳴き龍で、部屋の中に入らなくても入口付近で手を叩いても反響します。
 のんびりとお茶をいただき、庭を愛で茅葺屋根の建物を眺めるというとてもスローライフな空間、それが慈光院です。

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橿原神宮

 橿原神宮(かしはらじんぐう)は、明日香村のやや北、東西でいえば葛城市と桜井市の中間に位置する橿原市にあります。いわゆる大和三山の一つである「畝傍山」(うねびやま)の麓にあり、初代天皇である神武天皇を祀る神社です。
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 上の写真はどちらも参道の入口である大鳥居の付近の写真です。巨大な木製の鳥居です。橿原神宮は、明治天皇により1890年(明治23年)に創建された官幣大社(つまり国が正式に管轄する神社)です。広大な敷地に、厳かな空気が流れる特別な場所です。なんてったって初代天皇をお祀りしているのです。そこいらの神社とは格式が違います。もともと神武天皇の宮がこの畝傍山にあったということです。神宮の北側には神武天皇陵があります。なんでも、毎年2月11日の建国記念の日には全国の右翼の街宣車が集結するのだそうです。
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 左上写真が南神門です。これだけでも素晴らしく立派な建物です。そして、門をくぐると右上の写真のように広大な玉砂利の敷地があります。その何もない空間だけでもこの場所が特別な場所であることを物語っているってもんです。
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 広大な敷地の一角に左上の外拝殿があります。我々下々の者はこの建物からお参りをします。向かって右の方に巨大な絵馬があります。その年の干支の絵馬となっており、現在は巳年の絵になっています。12月ぐらいになると来年の干支の絵馬になり、その写真を年賀状にする人も多いのだそうです。一度やってみたいものです。
 外拝殿に入ると、内拝殿を拝することができます。右上の写真です。まったく余分なものがなく、きれいに整備された玉砂利と背景の畝傍山の尾根が相まって、本当に静謐な雰囲気を醸し出しています。ここから先は神の領域です。
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 外拝殿の横には左上のような回廊があり、これもまたいい雰囲気です。鳥居の外には右上のような伊勢神宮の式年遷宮ののぼりがたっていました。字体ですぐに紫舟さんの書だとわかるかっこいいデザインに惹かれ思わず。
 神社を取り上げることは少ないのですが、伊勢神宮しかり、以前にエントリーした石上神宮しかり、この橿原神宮しかり、古い建物がなくても、仏像がなくても流れる空気が特別な場所はあると思いました。
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 橿原神宮がある畝傍山のすぐ近くに、今井町という町があります。江戸時代の街並みがそのまま残り、結構大きなブロックが丸ごと重要伝統的建造物群になっています。実は何度も奈良を訪れていながら、これまでまったく歩いたことがなく、それどころかそういう町があることすら知りませんでした。古い街並みを売りにしている場所はたくさんありますが、ここはそういうチャラチャラしたところが全くなく、だいたい若いおねえちゃんをいっぱい呼ぼうという気が全く伝わってきません。キャラクターを売り物にした土産物屋があるわけでなく、おしゃれなカフェがあるわけでなく(あったかも)、本当に街を散策するだけで何となく豊かな気持ちになれる素敵な場所でした。

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正倉院 正倉整備工事現場公開

 正倉院正倉は、平成23年より屋根の葺き替えを中心とした整備工事を行っています。この間、全5回にわたり工事現場の一般公開が行われます。平成25年8月30日から三日間、第4回の公開が行われました。場合によっては5倍を超えると言われる競争率。今回は夏休み中だったのでおそらくかなり高かったと思われますが、ラッキーなことに当たりましたので、知人と二人で行ってきました。
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 日本人ならおそらく知らない人間はいない正倉院(けれど、どういう建物でいつからあるのかはよく分からない)を間近で見る機会はおそらく二度とないと思われますので本当にラッキーでした。だいたい正倉院は寺院でも神社でもありませんが、エントリーしてしまいます。
 正倉院は工事前は平日に限り外構の見学ができ、一度だけ見にいったことがあります(写真左上。2009年)。これが現在は右上写真のようにすっぽりと覆い尽くす巨大な建造物が建てられ、外からは正倉は全くと言っていいほど見えません。当然ながら正倉院は宮内庁所管なので宮内庁の職員がもうあちらこちらに大変な人数配置されていました。見学者はやはり興味があるのか、あちらこちらで宮内庁の腕章を付けた職員をつかまえては質問攻めにしていました。素晴らしいのは、その一人一人がきちんと質問に答えることができることです。
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 まず、高床の部分を見学します。足は太く、不ぞろいの礎石にデーンと建っています(左上写真)。礎石がある土台の部分はなんとコンクリートが張ってあります。大正2年(ちょうど100年前)に大規模な解体修理が行われ、その時に施行されたようです。正倉を覆う建物の足場は三層になっており、二層目に上がるとちょうど高床の床のレベルになります。右上写真のような校倉づくりの典型的な構造がもう触れるぐらいの近さで見ることができます。写真撮影OKですので、このような写真が自分で撮れます。木材の部材の多くは天平時代のものがそのまま使われているようです。金属パーツはこれまでの修復でその都度付け替えられてきたようです。
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 そして、左上写真のようになんと入口の扉が開けられ、ほんのちょっとですが中に入ることができます。真ん中の扉の中は右上の写真のようになっています。中を見られるとは思っていたなかったのでこれは驚きです。所々真新しい部材ですでに修復されています。
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 三層目に上がるとちょうど屋根の庇のレベルです(写真左上)。今回の修復のメインである屋根の葺き替えの現場となります。屋根は南に面している側はほとんど新しい瓦に葺き替えられています。南面以外の面には部分的に過去の瓦が使われています。右上の写真の青色の点線内の瓦は天平時代の瓦です。たとえ部分でも創建当時の瓦が残っているのは素晴らしいことだと思います。この写真からわかるように、新しい瓦を置き終えた部分と、瓦の下地になる木材の部分を見せているところと過去の瓦が残っている部分を見学者にわかりやすく見せてくれています。ありがたいことです。
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 古い瓦が使われている部分には、それぞれ時代を示す表示があります。左上が天平時代の瓦で右上が鎌倉時代の瓦です。この他に慶長年間の瓦もありました。
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 正倉を覆う建造物は本当に巨大で、左上のように結構広い作業スペースがあり、今回の公開では建物の構造を示す模型が展示されていたり、外された瓦が展示されたりしていました。また、大正2年の解体修理の時の写真も掲示されており(右上写真)、完全にバラシて行った大規模な修理だったことがわかります。
 とにかく、大変ラッキーで貴重な体験をすることができました。整備工事の終了は平成26年11月の予定で、一般公開はもう1回だけあります。

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東大寺 その2 修二会

 東大寺の修二会(しゅにえ)は、752年に始まり今年で1261回目を迎える東大寺きってのビッグイベントです。なんと1260年間一度も絶えることなく、毎年催されているのです。犯した過ちを懺悔し、無病息災、五穀豊穣、国家安泰を祈念する行事です。現在は毎年3月1日から3月14日まで毎日行われています。クライマックスは12日の深夜に行われる「お水取り」です。「お水取り」は、修行僧たちが若狭井という井戸で香水を汲み、二月堂の本尊に供える行事です。この水は、福井県小浜の神宮寺の井戸から来ると言われ、神宮寺では「お水送り」という行事が行われます。
 「お水取り」と二月堂の欄干を松明が渡っていく「お松明」が混同され、「お水取り」の日だけが松明を灯すと思われているようで、12日の夜はめちゃくちゃ混むようです。東大寺のHPにも、「12日にきてもあんまり見れんから、ほかの日にしなさい。お松明は毎晩やっとるから」といったアナウンスがされています。
 ということで、12日と土日を避けて行ってまいりました。ずっと見たいと思っていましたが、これが初めてです。
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 6時過ぎに南大門を抜け、大仏殿(左上写真)を横目で見ながら二月堂まで登っていきます。二月堂の前に着いたのは6時30分ちょっと前です。どの位の人出なのか想像できずやや不安ではありましたが、やはり平日だというのに結構な人出です。すでに二月堂の近くには近づけませんでした。二月堂と三月堂の間ぐらいに陣取りました。右上の写真のように目の前に街灯のポールが立ち、やや興ざめです。
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 夜7時ちょうど、目の前の街灯のライトが消え、いよいよスタートです。左上の写真のように登り廊を松明が登っていきます。そして、右上の写真のように欄干の端から向かって右に松明が渡っていきます。松明は予想より大きく、火玉はかなり大きいです。
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 「よく1260年も火事にならずに済んだな」と見ている誰もが思うくらい火の大きさや勢いは激しいです。ありがたい火の粉も左上のようにばんばん飛んでいます。松明は長い竹の竿の先端についていますので、端までいって右上のように屋根の高さまで掲げられます。桧皮葺の屋根に引火しないのが不思議なくらいです。また、右上のように炎はまるで龍のように雄々しく舞います。
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 松明は一本ずつ、計10本登場します。一本一本の火の勢い、炎の形、火の粉の飛び方、回転のさせ方が違いますので、そのパフォーマンスは持ち手の技量に依拠するってもんです。
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 パフォーマンスは20分ほどで終わり、短い時間ではありますが大変スペクタキュラーな行事です。あまり近くではありませんでしたが、それでも十分迫力は伝わりライヴ感は圧巻です。時々見られる、長時間露光による松明が横につながったような写真を撮りたかったのですが、いかんせん手持ちでは無理でした。最後に珍しく動画を載せておきます。

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長岳寺

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 長岳寺は天理市柳本という場所にあり、奈良の中心部からまっすぐ南に抜ける国道169号線の少し東にある真言宗の寺院です。創建は824年の古刹です。入口になる大門から鐘楼門に続く参道にはツツジの生け垣があり、春先にはきっと美しい光景だと思います。
 境内にはまず左上の写真の旧地蔵院があります。この建物は庫裡に使われていますが書院造の様式を残し、美しい庭園もあります。また、この建物につながり旧地蔵院持仏堂があります。どちらも1630年代の建立で、重文です。持仏堂には右上の普賢延命菩薩がいらっしゃいます。この仏像そのものは特に文化財の指定はないようです。
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 旧地蔵院を抜けると、左上の鐘楼門があります。日本最古の鐘楼門ということで、平安時代のものです。とても立派で、威厳があり素晴らしい造形の門です。重文です。
 この鐘楼門を抜けると、右上の本堂があります。1783年の再建です。写真で見ると小さく見えますが、中は大変広く立派な建物です。本尊の阿弥陀三尊像は平安末期の作で十分です。中尊の阿弥陀如来は台座から光背の先端まで2M以上はあり、黒くて立派な仏像です。エッジに金が残っています。眠そうな目をされています。両脇を固める観世音菩薩、勢至菩薩はどちらも黒々とした半跏像で左右対称に足を投げ出しています。
 三尊像のさらに脇には多聞天と増長天があります。藤原時代作の重文です。どちらも大きく2M以上はあります。彩色が残り独特の顔をされています。多聞天は目がよってとてもユーモラスな表情に見えます。
 訪れた時に、期間限定で寺が持っている狩野山楽による大地獄絵図を公開していました。9枚の掛け軸からなり、全部並べると横11メートルにもなる大作です。江戸時代のものですが、線や色がはっきり残り、どこかで聞いたことがある地獄のいろんな場面が描かれています。
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 本堂の前には左上の写真のように美しい池があります。池の反対側から本堂を見たところですが、左が鐘楼門で、右が本堂です。周りの木々と相まって大変美しい光景です。右上は池の少し横から撮ったもので左が鐘楼門、右が本堂です。
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 左上は本堂の奥にある拝堂です。さらに奥に行くと右上のような石仏がいくつかあります。
 長岳寺は、天理市のど真ん中にありますし、まわりに特に何もないのでなかなか寺巡りのコースには入りにくいと思われますが、どうしてどうしてお宝は満載、春は花、秋は紅葉が美しい(と思われる)穴場的な古刹です。

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興福寺その4 仮金堂特別公開

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 奈良に行くときは、東大や興福は必ず寄りたくなってしまいますが、そうすると結局他に行く時間がなくなってしまいますので、難しいです。実際に興福にお金を出して入るのは2009年の「お堂で見る阿修羅」展以来です。
 場所はその時と同じ仮金堂(右上写真)です。実は、特別交際されている仏像は「お堂で見る阿修羅」展の時から阿修羅など八部衆を除いたものです。2009年はもちろん、阿修羅や八部衆がメインでしたので、後ろに並んでいる仏像にはそれほど注目はしていませんでした(混んでましたし)。今回改めて見る釈迦如来坐像(284㎝)、薬王菩薩像(362㎝、重文)、薬上菩薩像(360㎝、重文)、四天王像(198~204㎝、重文)、どの仏像も圧倒的に大きく、まさに彼岸に生ける方々のありがたいお姿を拝すことができました。特に釈迦如来の脇を固める、薬王・薬上菩薩の迫力はそれはそれは、畏れを抱くことしかできません。これを人間が作ったというのも驚きです。持国天が踏んづけている邪鬼がムンクの叫びでした。
 これらの他、特別公開として、厨子入り吉祥天像(64㎝、重文)、大黒天像(94㎝、重文)も手前に展示されていました。吉祥天は絢爛豪華な衣装をまとったマツコ・デラックスです。
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 左上は国宝館です。国宝館に入るのも久しぶりです。4年ぶりぐらいです。前回入った時は東京や九州で阿修羅ブームを起こす前ですので、古いディスプレイの頃です。2009年に阿修羅が戻ってからガラスケース越しではなく、LED照明で直接見られるようになったと聞いていましたが、その改装後初めて入ります。確かに以前に比べて「見せる」工夫が随所に施されており、洗練された印象を受けます。阿修羅を含む八部衆も素晴らしいライティングでかっこ良く見せています。しかし、やはりここの主役は木造千手観音菩薩立像(国宝)です。まさかの5m越え!持物一つ一つ見ていっても1時間以上かかります。双眼鏡必須!今回もう一つわかったのは、国宝の龍燈鬼は紙オムツを履いていること。しかし、平日だというのに混んでいましたね。
 右上の写真は南円堂です。来年春、特別公開があるようです。行かねば。
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 ちょうど北円堂の公開時期と重なっていましたので、そりゃ行くでしょうってことで再び訪れました。前回は結構な行列になっていましたが、今回はすんなり見ることができました。弥勒如来、無著・世親(右上写真)は何度見ても圧倒されます。描かれている両高僧の内面の仏性までをも3Dで表現してしまう、運慶カロッツェリアの最高峰です。また、周りを固める四天王もすべてドヤ顔でいいです。増長天の軽やかな舞い、多聞天のそば屋の出前ポーズが心に残りました(笑)。
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 左上は手前の東金堂なめーの五重塔です。ついつい興福に行くとこのアングルで写真を撮ってしまいます。右上は五重塔です。この上にいくにつれだんだん小さくなっていくバランス、最高です。これぞ日本の塔です。
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 左上は猿沢の池の方に少し下がった場所にある三重塔(国宝)です。鎌倉時代の創建で、19mと小ぶりな塔です。ちょっと紅葉がいい感じになっていました。右上は中金堂の再建現場です。今まではだだっ広い空き地でしたが、いよいよ再建されるようです。完成は2017年だそうです。

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如意輪寺

 随分と間が空いてしまいましたが、吉野シリーズの最終回となります、如意輪寺です。正式名称は、塔尾山椿花院如意輪寺(とおのざん ちんかいん にょいりんじ)といいます。 
 如意輪寺は、もちろん吉野にありますので金峯山寺と同じエリアと言えますが、正確には峰が違うので、移動は一旦下に降りてからもう一度登り直す必要があります。車で20分ぐらいはかかります。
 草創を900年代まで遡ることができますが、歴史上に登場するのは後醍醐天皇が南朝行宮(あんぐう 仮の宮)を開き、その勅願所としたあたりからだと思います(南朝成立は1336年)。境内には、山の中にある割には本堂(如意輪堂)、庫裏、宝物殿、多宝塔、後醍醐天皇廟などの建物が並びます。
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 左上の写真は、如意輪寺の山門です。山門はもう一つあり、写真の山門は裏門のようです。この目の前にほんの数台が駐められる駐車場があります。駐車場への入り口も気を付けていないと通り過ぎてしまうような山道の中腹にあります。
 山門をくぐって少し行くと右上の本堂があります。寄棟造の銅板葺で1650年の再建です。本尊はその名の通り如意輪観音で、おそらくこの本堂のどこかに安置されているのだと思いますが、本堂は開扉されておらずわかりませんでした。
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 本堂の正面に対面するように左上の難切不動尊があります。石でできた不動明王で、様々な難儀から人々を救ってくれる(難切)という霊験あらたかなお不動さんです。
 本堂と難切不動尊の間を抜けていくと正面に右上の庫裏があり、ここにちょっとした売店があります。ここで入場券を買い、中に入っていきます。
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 中に入ると左上の宝物殿があります。ここのハイライトは、金剛蔵王権現木造(源慶作)です。源慶は運慶の高弟です。金峯山寺にある蔵王権現は、その圧倒的な大きさ故、意匠的にはやや大味というか、ファニーな点があるのに対し、この蔵王権現はサイズはそれほど大きくはありませんが(高さ89㎝)、実に精緻でリアリスティックな意匠になっています。さすがに慶派の作品です。絶妙なバランスの背中の火焔もあり、本当に厳しい憤怒の表情でこちらを睨みつけます。デビルマンみたいです。ここには、楠木正行(くすのきまさつら 楠木正成の長男)が矢じりで彫ったという辞世の句が彫られた再建前の如意輪寺の扉の一部や、台に寝転がって見る天井画の如意輪観音の油絵像(これは古くはありません)などがあります。
 少し山肌を登った場所に右上の多宝塔があります。大正15年創建ですので当然指定はありません。ごく一般的な多宝塔です。
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 左上の写真は後醍醐天皇御霊殿です。1339年後醍醐天皇は吉野の地でその生涯を閉じます。鎌倉幕府打倒に命を賭け、流罪、復帰そして建武の新政を敷き、足利尊氏の裏切りに遭い吉野に逃れ南朝を旗揚げ、いずれ京の都に凱旋することを夢見ながら失意の中で亡くなっていった後醍醐天皇の壮絶な人生を思うと、あまりにひっそりとした霊廟です。
 境内からつながる階段を少し登ると右上の後醍醐天皇陵、塔尾陵(とうのおのみささぎ)があります。もちろん宮内庁管轄です。私がいた時間帯でここにお参りする人は一人もいませんでした。天皇陵の中で唯一北向きに作られているのだそうです。そう、天皇が夢見た京都の方角を向いて。

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金峯山寺 その2

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 吉野、そして金峯山寺にはもう一つの顔があります。それはすなわち後醍醐天皇の夢と挫折の舞台であるということです。京都で即位してから幾度となく挫折を繰返し、それでも決して諦めることなく、天皇という地位や天皇専制という統治体制にこだわり、しがみつき南朝を興し、そして消えていった後醍醐天皇の壮絶な人生の跡が左上の南朝妙法殿です。昭和31年に後醍醐天皇の行宮であった跡に建立されました。八角形の三層の屋根をもつ変わった建物です。「吉野朝宮跡」という石碑が、歴史に翻弄された天皇の生涯を物悲しく表しているようです。
 右上の写真は、この南朝妙法殿の裏に建つ「仏舎利宝殿」で、昭和42年にインドのガンジー首相から譲り受けた釈迦の御真骨を祀るために建立されたものです。
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 金峯山寺蔵王堂周辺には塔頭や縁の深い神社などがいくつかあります。とても時間がないのですべては回れませんが、仏舎利宝殿から階段を降りて(というか山を下って)行った場所にある脳天大神龍王院が蔵王堂とセットで訪れるべき場所だと思います。しかあし、階段を降りること450段。帰りのことを思うと気が重くなりますが、下りはじめたらもう行き着くところまで行くしかありません。下りきると右上の脳天大神龍王院の建物があります。ここは一応神社なのでしょうが、まったく神仏の区別のない場所です。窓口に居らっしゃる方も明らかに金峯山寺のお坊さんです。したがって、柏手を打っていいのかわからず静かにお参りをしてきたのでした。
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 この社はどれが本殿なのか今ひとつわからないのですが、左上は山の岩肌をそのまま使って社をこさえたものです。表のカエルが可愛らしいです。右上は、ある建物の下駄履きの部分に流れる滝です。ご神水が滴り落ちています。お参りをしたあとは、450段を登って元の場所に戻るしかなく、そのあたりの記憶はしんどすぎて、はっきり言ってあまりありません(笑)。
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 金峯山寺から車で5分ぐらいのところに吉野神宮があります。ここは金峯山寺に関係があるというわけではありませんが、立派な神社なので載せておきます。まあ、一コラム設ける程ではないというのが本音です(失礼)。

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金峯山寺

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 金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県の南部、吉野山という山にあります(写真左上)。このあたりはその景観により2004年世界遺産に指定されています。
 そもそもの起こりは、役行者(えんのぎょうじゃ)が白鳳年間にこのあたりで修行をし、吉野山と大峯山にそれぞれ蔵王堂を建立したことです。険しい自然の中で悟りを得るべく、修験者が修行に励む場所として吉野山信仰は発達したのでした。そして、役行者が桜の木に蔵王権現の彫刻をしたことから桜がご神木となり献上され、日本一の桜の名所となりました。
 金峯山寺は明日香村よりもまだかなり南にあり、私の住む岐阜から日帰りで行くには相当遠いのでこれまで訪れたことはありませんでした。現在国宝仁王門の修復のための勧進として、秘仏である本尊を春と秋に公開しています。今回の春の公開が2012年6月7日までということで、ぎりぎりの6月5日に訪れたのでした(フライヤー拡大なし)。
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 名阪国道で行ったのですが、東名阪自動車道はリフレッシュ工事、下道に入ったら四日市の辺りで渋滞、おまけに雨も今にも降りそうな天気になり、なんだかんだで5時間ぐらいかかりました。さらにさらに駐車場がどこにあるのかもわからず右往左往し、やっと駐車場にたどり着いたときにはすでに憔悴しきっていたのでした。駐車場から左上の仁王門までがこれが結構な距離があります。おそらく20分近く歩いてやっと仁王門にたどり着きます。この仁王門が国宝です。城郭のような石垣の上に建っています。建立年代ははっきりしませんが、1300年代~1400年代に建てられたもののようです。重層入母屋造本瓦葺の堂々たる建物です。間口は三間で二体の金剛力士がいます(右上は向かって右側にある阿形像)。室町時代の作で素晴らしい造形です。どちらも像高5.1mという巨大な像です。そう、したがってこの門自体がとても大きいのです(高さ20.3m)。
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 そして、境内に進むと上の写真の蔵王堂があります(右左とも)。この堂も巨大です。高さ34m、四方36m、重層入母屋檜皮葺で安土桃山時代に建立された国宝です。写真では今ひとつわかりませんが、木造建築としては東大寺大仏殿に次ぐ大きい建物です。
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 お堂の入り口には左上の大きな提灯があります。何事も大きな造りになっています。柱も大変立派で、吉野でとれる様々な木が柱として使われています。秘仏蔵王権現の特別公開は特別拝観料がチョイ高の1000円となっています。しかし、右上の写真のように、お守りの札とナイロン製の名入りのシューズバッグがもらえます。このバッグはエコバッグとしても使えるもので、何だか得した気分になります。
 そしていよいよお目当ての蔵王権現三像。内陣そのものが巨大な厨子になっており、そこに三体の蔵王権現立像が並びます。三体とも安土桃山時代に作られた重要文化財です。想像通りのデカさ(中尊は7m越え!)、想像通りの青さ。まさにJR東海のキャッチコピー、「青が、荒ぶる」そのままです。中の行列に並ぶと、像のすぐ前に行ってゆっくりと記帳ができます。蔵王権現は三体とも不動明王のように憤怒の表情で衆生を見つめているのですが、なぜか怖くはなく優しく見守っていただけるような安心感があります。また、意匠もその片足の上げ方といい、ド派手な首飾りやおしゃれな腕釧といった装飾品といい、きれいに残っている青、金、赤の彩色といい、ちっとも古い感じはしません。秘仏として大切に保管されているからでしょうか。しかし、青い肌に金色の髪の毛、眉毛も金色という意匠はよく思いつくものだと感心します。それぞれが過去、現在、未来を司り、それぞれ目を光らせて悪を見はっておられます。はるばるやってきたかいがあるってもんです。
 もう一つ堂内には素晴らしいお宝があります。内陣の脇にある蔵王権現立像です。こちらは彩色が一切なく、木地むき出しの松の寄木造の像です。これも高さ4.59mと堂々たる巨像です。鎌倉時代の作で、重要文化財です。こちらも憤怒の形相なのですが、どこかユーモラスというか愛嬌があると感じるのは私だけではないと思います。全体のポージングや顔が異様に大きいことも影響しているのかもしれません。ちなみに蔵王権現はインドに起源を持たない、日本独自の信仰対象なのだそうです。

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石上神宮

 石上神宮。いしがみじんぐうと思いきや、「いそのかみじんぐう」と読みます。奈良県は天理市にあります。天理大学などのすぐ近くの山際にあります。西名阪道の天理ICの近くです。街からそれほど離れてはいませんが、鬱蒼とした森の中にあり、外界とは隔絶している感があります。石上神宮そのものは日本最古の神社の一つで物部氏の総氏神です。古事記にも名前が出てきます。
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 数ある神社の中には、明らかに流れる空気が違って間違いなく神がおられる空間であることを感じさせられ場所があります。例えば伊勢神宮の内宮などがそうです。この石上神宮もそんな場所です。左上の補修中の大鳥居を横目で見て、右上の楼門のあたりまでくるともはやここが神の領域であることが感覚でわかります。私は神社にはあまり詳しくはありませんが、それでも何かただものならぬ気配は感じます。ちなみに楼門は重文です。
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 楼門をくぐると左右に廻廊があり、正面に拝殿があります。左上がその正面です。この拝殿が国宝です。鎌倉時代の建立で入母屋造、桧皮葺の建物です。この裏に本殿があります。また、ここには公開はされていませんが、七支刀(しちしとう)という鉄製の刀がありこれが国宝です。銘文が刻まれており、諸説あるものの369年に作られたもので、日本書紀に出てくる百済から贈られた七枝刀(ななつさやのたち)であるというのが神宮の見解です。拝殿左の神庫に保管されているとされています。
 右上は楼門を内側から見た所です。
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 ここにはもう一つ国宝があります。楼門の前にいくつかの摂末社があります。摂末社とは大きな神社に附属する小さなお社です。それが、写真右左上の摂社出雲建雄神社拝殿(せっしゃいずもたけおじんじゃはいでん)です。1300年ごろの建立です。右上のように中央が通路になっている形式です。
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 左上は境内にある鏡池で、天然記念物になっているワタカという鮒科の魚が生息しているのだそうです。
 右上は休憩所にいる放し飼いの鶏です。黒い尾長鳥のようなものもいました。神の使いなのでしょうな。

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法隆寺 その4

 またまた今年(2011年)も秋の救世観音特別公開に合わせて法隆寺に行ってしまいました。昨年(2010年)同時期に訪れ、すでにこちらにコメントしています。
 訪れるたびに新しい発見があり、まったく飽きることがありません。また今年も怖ろしくも美しい、救世観音にお目にかかれ大変幸せです。
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 法隆寺に来ると毎回同じようなアングルで写真を撮ってしまうので自分でも笑ってしまいます。仕方がないですね。昨年はあいにくの雨模様だったのですが、今年は比較的天気がよかったので、青空をバックに撮ることができました。
 金堂(右上写真の右の建物)の釈迦三尊像は法隆寺を訪れるたびもちろん拝観しますが、今回特に釈迦三尊像の四方をぐるっと取り巻く四天王(すべて国宝)に大変興味を持ちました。これまであまり目がいかなかったのが不思議なくらいです。すーっとまっすぐ立ち、すらっとした立ち姿、円形の光背、エキゾチックな表情、そしてなにより他の四天王と決定的に違うのは、ハイネックの着物です。あきらかに天平以降のそれとは異なる意匠なのに、やはり広目天は筆と巻物を、多聞天は宝塔を持っています。釈迦三尊像の脇を固める(失礼)薬師如来像、阿弥陀如来像、毘沙門天、吉祥天(すべて国宝)も何度見てもすばらしく(暗いのが難点ですが)、ついつい時間を費やしてしまいます。
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 昨年は大講堂が大々的な修理をしていて建物全体が覆いをかぶせられていましたが、今年は上のように大変美しい姿を見ることができ、これまた大満足です。
 中の薬師三尊像は金堂の仏像群とはまったく意匠の異なる、典型的な平安仏です。中尊の薬師如来坐像は2.4メートルを超える堂々たる丈六仏です。透かし彫りの光背がそれはそれは流麗です。
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 東寺や興福寺の五重塔も美しいですが、私は法隆寺の五重塔(左上)が一番好きです。このだんだん小さくなっていくバランスが一番しっくりくるのです。右上は大講堂の向かって右側にある鐘楼です。国宝です。
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 大宝蔵院(左上写真)もまた、たまらん場所です。夢違観音や百済観音、玉虫厨子などスーパーエース級はもちろんのこと、こんな素晴らしい仏様があったのだとはっとさせられる発見があります。
 右上は、大宝蔵院へ向かう入口にある綱封蔵(国宝)です。高床式の宝物庫ですが、面白い建物です。
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 左上の写真は聖霊院(しょうりょういん)で、国宝です。聖徳太子坐像(国宝)を祀ります。建物の後ろに東室(ひがしむろ)が連なります。これも国宝です。
 右上の写真は、西院伽藍から東院伽藍につながる通路にある東大門です。何の変哲もない門のように見えますが、これも国宝です。
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 今回の法隆寺での大きな収穫の一つは、西院の西側に行ったことです。これまでなぜか西院伽藍に入ってそのまま東の方に出てしまうので、西院のさらに西(これも西院なのか?)には行ったことがなかったのです。
 左上の写真は回廊で囲まれた西院の西にある三教院(さんぎょういん)で国宝です。三経院は勝鬘経、維摩経、法華経の三つのお経について学ぶ場所です。建物の後ろには西室(にしむろ)が連なります。これも国宝です。
 そして、さらにその西側の通路を登っていくと西円堂があります。まるで夢殿と対を為すかのような八角形の建物です。
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 この西円堂はあまり訪れる人も多くなく、なんとなく寂れた感じもあるのですが、中には国宝の薬師如来座像がいらっしゃいます。丈六と思われるたいそう立派な仏様です。脱活乾漆像で金箔が残っておりとてもきれいです。奈良時代末期の作とされています。二重になって千体仏が浮き彫りになっている光背もすばらしいもので、もっと知られてもよさそうな気がするのですが、私がモグリなだけなのかもしれません。
 右上の写真は西円堂から金堂と五重塔を臨んでいます。西陽がきれいに当たっています。このアングルの写真はあまり多くありませんね(自己満足)。ああ、よく調べた。

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十輪院

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十輪院は、ならまちの中心部にある小さなお寺です。細い路地に囲まれており、車ではなかなか近付きにくい場所ですが、左上の南門の前には駐車場もあり、アクセスはそれほど悪くはありません。もともと元興寺の塔頭だったようです。ここに車を置いて元興寺まで歩いていくこともできます(いけないのか?)。寺伝によると元正天皇(715-724)の勅願寺であったとのことですが、はっきりしないようです。
 右上の写真が本堂で、これが国宝です。鎌倉時代の創建で、とてもシンプルな形状で、正面に縁側があり、柱がずらっと並びます。全体に低く構えたデザインです。
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 左上の写真も同じく本堂です。本堂を入ると内陣と外陣に分かれています。そして、内陣の正面には大変珍しい仏様がいらっしゃいます。それが石仏龕(せきぶつがん)といわれる、レリーフ様の石仏群です。中心に本尊の地蔵菩薩を配し、そのまわりが石の厨子になっています。この厨子が龕(がん)です。寺伝によるとこの地蔵菩薩は弘仁時代(平安前期)に弘法大師が造立したとされます。普通のお堂があって、外陣があって、その正面が石という大変変わった光景です。ちなみに石仏龕は重文です。
 他にも本堂内には、アフロヘアの五劫思惟阿弥陀像が見られます。東大寺のものが有名ですが、あちらは年に一日しか公開されませんが、こちらはいつでも見られます。ファンキーな仏様です。
 境内は決して広いとは言えません。右上の写真は、十三重石塔で鎌倉時代のものです。
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 左上の写真のこの屋根つきの扉の向こうに、興福寺曼荼羅石というものがあります。鎌倉時代のもので花崗岩に何か描いてあるもののようです。
 右上の校倉づくりの建物は十輪院宝蔵です。しかし、実はこれ十輪院にはありません。なんと東京国立博物館の敷地内に常設されています。重文です。なぜか明治15年から東博にあるんだそうです。東博に行ったときに偶然撮影してあったのでした。

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當麻寺(当麻寺) その3

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 いやいやいやいや。随分と間が開いてしまいました。まだ当麻寺が終わらない・・・。懲りもせず、その3です。で、やっとこさ東塔と西塔ですがな。実は当麻寺を訪れたかった最大の理由は、この共に国宝となる唯一の双塔(三重塔)を見たいということだったのでした。ところが行ってみるとこれがお宝満載で、とても1回じゃ書ききれないということになったわけです。
 まずは、東塔です(上写真左右とも)。東塔はすぐ近くまで寄ることができ、裏に回ることもできます。天平時代の創建で高さ22m、上に行くほど小さくなる安定感のある意匠です。いかにも幾多の歴史を刻んできたことを物語る重厚で堂々とした佇まいです。魚の骨型水煙が特徴です。右上の写真はこれぞHDRという写真です。
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 一方、上の写真(左右とも)は西塔です。平安時代初頭の造立です。高さは25m、東塔より木の部分が黒いかもしれません。こちらの水煙は蔓唐草です。こちらは、東塔より強度に問題があるのか、入口の所に柵があり、そばまではいけません。
 東塔と西塔の間に少し小高い展望台があり、どちらの塔もよく見え、見晴らしがよい場所となっています。
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 このほかにも見所はたくさんあります。左上は護念院という境内にある塔頭の一つです。美しい庭があります。牡丹の季節にはさぞかし美しいだろうと思われます。右上は東大門から入ってすぐのところにある梵鐘で、日本最古なんだそうです。国宝です。
 私が訪れた時は東大門は修復の真っ最中で、覆いがかかってまったく見ることができませんでした(かろうじて門をくぐることはできましたが)。時間の関係で、他の塔頭や中之坊、奥院、大師堂などは十分見ることができませんでした。見る所をちょっと残しておくのがまたいいんです。さらに、毎年5月14日に行われる練供養というシアトリカルな一大イベントや5000株あるという牡丹の季節に合わせてぜひまた訪れたい場所です。
DSC00004.jpg 最後にちょっとしたウンチクですが。左の写真のように、右端の東大門から境内に入り、講堂と金堂の間を通って本堂に行くのが現在の参道です。このコースだと二つの塔は共に南側にあります。どうして東塔と西塔になるのかということになります。
 実は本堂は比較的新しい建物であり、もともとは東塔と西塔の間が参道で、正面に金堂、その奥に講堂があるという実に一般的な伽藍配置だったということです。それならまさしく薬師寺などと同様の配置となり、めでたく東塔、西塔となります。南側に南大門の名残があるのかどうかは、今回の訪問ではわかりませんでした。次回は確かめたいと思います。

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當麻寺(当麻寺) その2

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 奈良県葛城市の當麻寺(当麻寺)の第2回です。左上が、本堂(曼荼羅堂)の向かって右にある講堂です。寄棟造の瓦葺でシンプルで奈良時代らしい安定感のある建物です。平氏による南都焼き討ちで焼失し、鎌倉時代に元のように再建された重文です。堂内にはまず中央に重文の阿弥陀如来坐像がいらっしゃいます。大きく立派で藤原時代らしい定朝様の阿弥陀如来です。定印を結ぶ優雅で穏やかな仏様です。放射状の光を放つ光背も特徴的です。阿弥陀様を囲むように、多聞天(藤原時代)、阿弥陀如来(藤原時代、重文)、千手観音(鎌倉時代、重文)、地蔵菩薩(藤原時代、重文)がいらっしゃいます。さらにその右側に不動明王(藤原時代)、妙幢菩薩(弘仁時代、重文)が安置され、お宝の山です。大きさや意匠、時代もバラバラで統一性はありませんが、どの像も大変すばらしい像です。一箇所に集めて印象が薄くなるのがもったいないくらいです。
 右上の写真は金堂です。入母屋造瓦葺で、このお堂も講堂と同様平安時代末期の南都焼き討ちの後、鎌倉時代に再建されたものです。重文です。入母屋の庇が大変美しい。この中にはこれまたハイライトになる仏像がたくさんあります。まず、このお堂の本尊弥勒仏坐像。高さ2.2mの塑像で粘土の上に布と漆を張り、その上に金箔を張ったもので、金がよく残っています。塑像の仕上げとしてはめずらしい作り方のようです。白鳳時代の作で国宝です。白鳳時代ということは寺の創建当時のものということになります。まあ、よくもこのように原形をとどめて残っていたというものです。施無畏印、与願印の堂々たるポーズ。螺髪はかなり欠落していますが、全体の意匠や納衣の感じからして、また弥勒菩薩と呼ばずに弥勒仏と呼ぶところからしても如来といった方がよいと思います。そしてその弥勒仏を四方から守護しているのが四天王立像。これまたワンアンドオンリーの存在感です。多聞天を除く3体が白鳳時代の脱活乾漆像で重文です。なぜ白鳳時代のこのような立派な像が国宝でないのかはよくわかりません。この3体が唯一無二の存在である理由はその容貌です。顔が西アジア的で、髭をたくわえているのです。これが実にかっこいいんです。まったくアニメのキャラクターのフィギュアみたいです(たとえがよくないか)。これだけでも訪れる価値はあります。多聞天だけは鎌倉時代の作でこれも重文なんですが、残念ながら髭はありません。
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 左上の写真は手前が金堂で奥が講堂です。右上の写真は金堂を正面から見たところで、金堂の前にある小さな屋根のついた石灯籠は日本最古白鳳時代の石灯籠で重文になっています。

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當麻寺(当麻寺) その1

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 當麻寺(当麻寺たいまでら)は、奈良の中心市街(奈良公園付近)から南(大和高田市)に下り、さらに西の方へ行った葛城市にあります。さらに西の太子町(大阪府)とは二上山(にじょうざん、ふたかみやま)という歴史上大きな役割を担う山で隔てており、その二上山の麓に當麻寺はあります。大きな伽藍をもつ、大寺です。白鳳時代(681年)に始め創建され、奈良時代初期にかけて徐々に堂宇や塔が整備されて行きました。
 ここは東塔、西塔の二つの三重塔が両方とも国宝になっている唯一の寺です。左上の写真が双塔のツーショットが撮れる数少ないスポットです。手前(左)が東塔で奈良時代の建立で、向こう(右)が西塔で平安時代の建立です。どこか高台に上がるともっといいスポットがあるのかもしれません。しかし、十分すぎるほど美しいです。ちなみに左上の写真は電線などを消してあります(ばらしてしまった)。
 右上の写真は、正面が本堂である曼荼羅堂、向かって右が講堂、左が金堂です。どのお堂も古く、素晴らしいお宝が安置されています。また、この参道から見た3つのお堂の俯瞰も見事です。この寺のメインストリートです。まさに堂々としているという感じです(違うか)。
taimadera41.jpg 左は曼荼羅堂を斜めから見た所です。奈良時代に建立され、その後平安時代に外陣を拡張したものです。お堂自体が国宝です。歴史の重みを感じさせる重厚で天平の建物らしい、美しい造形です。 ちなみにこの當麻寺は中将姫の伝説で知られています。中将姫は奈良時代の藤原家の娘で、継母にいじめられ命を狙われるようなことがあっても決して恨まず人々の幸せを祈って写経をしたり、極楽浄土の様子を曼荼羅として布に織ったということです。その中将姫が織った曼荼羅がこの當麻寺にあり、国宝に指定されています。しかし、そのオリジナル版は実際に現存するかどうかどうもあやしいようです。で、この曼荼羅堂に安置されているのは写本というかレプリカみたいなもので、それでも室町時代のものと、江戸時代のものの2種類があるようです。どうも現在掲げられているのは室町時代のもののようです(重文です)。この曼荼羅は縦横4メートル近くもある大きなものです。素晴らしい意匠の凝らされた立派な厨子に掛っています。奈良時代の作です。この厨子はこれまた素晴らしい須弥壇の上に乗っています。須弥壇は鎌倉時代の作のようです。貝で作られた模様が今でも往時の美しさを伝えています。厨子と須弥壇は国宝です。
 また、この曼荼羅が掛っている板の裏側には、オリジナルの曼荼羅をはがした時のあとが残っており、仏や菩薩の図柄がはっきりわかるのだそうです(裏板曼荼羅)。また、この厨子の左側にいやっしゃる阿弥陀如来も衣の意匠がすばらしく威厳のある仏様です。
 曼荼羅が掛かる部屋の奥には、十一面観音があります。一木彫で弘仁時代(平安初期)作の重文です。大きく立派で黒々としており、大変美しいです。向源寺の十一面観音にもひけをとらないものがあります。扉の意匠がやけに近代的てテクニカルな厨子に入っておられます。
 ちなみにこの當麻寺は何宗という宗派がはっきり決まっていません。したがって當麻寺の僧侶というのはいないのです。真言宗と浄土宗が交代でこの曼荼羅堂を含め4つの大きな塔頭の管理を行っています。当番が変わるとパンフレットなどもすべて変わるのだそうです。

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円成寺

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 忍辱山円成寺(にんにくせんえんじょうじ)は、奈良市の中心市街から北東の方向、結構な山道を登った所にあります。浄瑠璃寺などのある京都府木津川市と意外に近い場所になります。ずいぶん前から一度訪れたいと思っていた場所です。2011年ゴールデンウィークにやっとそれが叶いました。いつも奈良へ行くときは、名神から京奈和の終点木津で降りるのですが、今回は精華学研で降りて向かいました。奈良の市街地に入らない分、スムーズに行けました。敷地に入るとまず池があります。かなり大きく、美しい池です。そして、左上の立派な楼門が目に飛び込んできます。室町時代の重文です。
 そして、最大のウリが右上の多宝塔の中にあります。多宝塔そのものは昭和61年の創建です。
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 そして、ひょっとして何かの特別展に出張している情報を見落としてはいないだろうかという疑念を抱きつつ近付くと、この多宝塔の中心にいらっしゃいました。天才仏師運慶の銘がある最も古い作品、国宝大日如来坐像です。ガラスを通して観るのですが、このガラスがどうしてこうまで写りこみの激しい位置関係にしなきゃいけないのかというぐらい背景が写りこんで見にくいことこの上なし。しかし、ガラスの前には右上の専用スコープ(笑)が!これ、厚紙でできていて何かが貼ってあるわけでもなくただ穴が二つ開いているだけの代物ですが、これをガラスに当てて双眼鏡のように観るとなんとまあはっきりくっきり見えるのです。この天才仏師が世に遺した最高級の遺産が。まあ、だいたい左上の写真のような感じです。剥落している金箔がまた圧倒的な存在感を与えています。若き運慶仏師が全霊をかけて世に問うた魂の叫びがほとばしっています。宝冠の緻密な作り、威厳を湛えた表情、霊気漂う智拳印。本や写真では何回となく観たけれど、やっと会えたという感動に浸ってしまいました。
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 左上は本堂です。ここには平安時代作の重文阿弥陀如来坐像が本尊として安置されています。これも大きく立派で、典型的な定朝様式の阿弥陀様です。内陣を回って真横からも観ることができます。横から見るとまたこれが美しく立派な仏様です。二体の十一面観音立像があり、どちらも素晴らしい仏像です。
 本堂のすぐ右に、右上写真の春日堂・白山堂があります。大して大きくもない何の変哲もない(失礼!)お社ですが、なんとなんとこれが国宝です。鎌倉時代のものです。手前の階段の上に小さな蛇がおりまして、おそらく神様のお使いで吉兆であろうと信じています。
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 左上の写真は鐘楼です。1667年創建の建物です。右上は受付のある小さな門の上にある屋根の邪鬼?鬼瓦?です。背景は多宝塔です。フレアがいい感じに入ったので載せておきます。

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法輪寺

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 法輪寺は斑鳩にあり、法隆寺のすぐ北側にあります。法隆寺から歩いていける距離だと思います。歩いて行ったことはありませんが(笑)。ここは、あまり訪れる人も多くなく、あまり観光地化していません。檀家の方の出入りの方が多いような気がします。敷地も広くありません。感じとしては、やはりこの近くにある世界遺産法起寺に似ています。ここに入ってまず目を惹くのが三重塔です。残念なことにこの三重塔は昭和50年の再建です。オリジナルは国宝だったのですが、昭和19年に落雷で焼失してしまいました。そこが法起寺と決定的に違うところです。しかし、小さな敷地に伽藍に金堂、三重塔、講堂をそろえ、箱庭的な良さがあります。
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 左上の写真は講堂ですが、ここは収蔵庫になっていて、国重文の飛鳥仏のお宝がいくつかあるようですが、私が訪れるときはなぜか閉まっています。法輪寺のHPを見る限り、いかにも法隆寺的な止利仏師的な仏像なので一度拝見したいとは思っています。右上は金堂の屋根の鬼瓦です(たぶん)。

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白毫寺

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 白毫寺は、真言律宗の寺院です。白毫とはもちろん仏様の眉間にあるあの毛が丸まったもののことですが、このお寺の由来にどのように関わっているのかはわかりません。新薬師寺から車で5分程の場所にあります。どちらかに車を置いて、歩いて行ったほうがむしろ効率的かもしれません。車で回るにはこのあたりはかなり道も狭く、駐車場もあまりありません。左上の写真が白毫寺の入り口ですが、この手前に個人がやっている有料駐車場があります。
 このお寺は、草創はあまりはっきりしないようですが、ルーツは奈良時代初期までさかのぼるようです。写真で見る通り、結構な階段を上っていきます。すると、右上の本堂に辿り着きます。江戸時代の建物です。山の中腹にありますので、あまり広くない敷地に小じんまりした堂宇が建っています。
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 狭い敷地ながら、本堂の裏には宝蔵があります。ここに、国の重文が安置されています。本尊の阿弥陀如来坐像、地蔵菩薩像、文殊菩薩像、そして有名な閻魔大王と太山府君などです。右上の写真は宝蔵を遠くから撮ったらたまたま阿弥陀如来坐像が写りこんでいましたので拡大してみました。5体の仏様を戴く大きなイカ型の火焔と、二重円光の組み合わせです。イカ型は私の勝手な命名です。いわゆる定朝様式で上品印を結ぶ堂々たる安定感を誇っています。平安時代から鎌倉時代の作とのことです。閻魔大王と太山府君は睨んでいますねえ。こちらの不実さをすべてお見通しです。
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 このほか、境内には(狭い狭いと言いながら意外に広い?)左上の万葉集の句碑があります。そして、最後は境内からの眺望です。意外と高いことがわかります。一番右端にちょこっとだけ興福寺の五重塔が写っています。

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西大寺

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 その名前からわかるとおり、東大寺に対する西大寺ということで、かつては多くの堂宇をもつ大寺であった西大寺。奈良の中心地からも程近い場所にあります。往年ほどではないにせよ、現在でも広大な敷地を持っており、堂々たる寺です。大茶盛という行事で有名です。創建は764年の称徳天皇(孝謙天皇)の発願に遡る、大変古く奈良時代の歴史の中核を成す寺です。
 右上は四王堂で西大寺のハイライトの一つです。写真で見るとこじんまりした堂宇のように見えますが、かなり大きな建物です。朱塗りで新しく見えますが、それでも1674年の再建です。この四王堂にはまず四天王立像があります。国重文です。四天王に踏みつけられている邪鬼だけが創建当初のものです。結局邪鬼を懲らしめ、仏法を守護するはずの四天王ですが、邪鬼だけが生き長らえたという皮肉。そんな邪鬼にあっぱれ。
 四天王は大きく立派でかっこいいです。すぐそばで見られるので大迫力です。重厚感がはんぱないです。フィギュアみたいな破綻のなさです(?)。
 そして、こちらの本尊十一面観音立像。1289年作の国重文です。いわゆる長谷寺式の錫杖をもった形で、なんと高さ6m38cm!でかい。おそらく高さでは長谷寺の十一面観音に負けますが(あちらは10m超!)、でも迫力はこちらのほうが上かもしれません。それは、足元からずずずいーっと見上げることができるからです。あちらは足元まではいけませんのでとにかくこちらの観音様は大きく見えます。金色もかなり残っていて、すばらしい。「こんなに近くから見られるのも重文だからですよ。国宝なら無理です」というガイドさんの説明が聞こえてきました。
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 左上の建物は本堂です。天井が高く、大きな建物です。本堂には286cmのこれまた大きく立派な弥勒菩薩坐像があります。鎌倉時代作の国重文。金色が残り、大きな唇に紅をさす、堂々たる威容です。中央の厨子にこれも鎌倉時代作で国重文の釈迦如来立像があります。いわゆる清涼寺式の釈迦如来です。衣紋の波のきれいなこと。透かし彫りの光背もそれは見事なものです。さらに、同じく鎌倉時代作の国重文の文殊菩薩騎獅像及び四侍者像があります。獅子が大きく、獅子だけで高さ168cmです。まわりの善財童子、最勝老人など、どこか中国的な造形です。
 右上の写真は本堂を正面から撮ったものですが、本堂のまん前にある石段みたいなのが、創建当時東西にあった塔のうち東塔の塔跡です。そして、その石段のまわりに八角形をした囲いがあります。これが最近発掘でわかった八角七重塔の基壇の跡です。称徳天皇は、断面が八角形をした70m級の七重塔を建てようとしていたようです。どうも中国の水墨画にでてくるような感じのもののようです。ただ、あまりに建設が困難で、計画は頓挫したようです。
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 左上は、愛染堂です。1762年京都から移築されたものです。ここには、その名の通り愛染明王坐像が安置されていますが、残念ながら開扉期間ではなかったので厨子の中でした。厨子の前に前立と思われる愛染明王の像があるので、お寺の人に「これはレプリカですか」と失礼なことを聞いてしまい、「お寺にレプリカはありません。二体あると思いなさい」と丁重にお答えいただけました。申し訳ない!
 右上は(多分)本堂の庇の梁の龍です。

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元興寺

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 元興寺(がんごうじ)は、ならまちの中のかなり込み入った場所にあります。自動車で行こうとすると若干やっかいかもしれません。寺の敷地自体はせまいならまちの中にあってなかなかの広さです。
 そもそも元興寺は明日香村の飛鳥寺が平城京に移転してきたものがその始まりで、往時は興福寺と並ぶ大寺だったようです。奈良に移転したのは718年です。飛鳥寺をルーツにしていますので、蘇我氏と縁の深い寺です。おそらく現在の様子は往時を偲ぶべくもないものになっていると思われますが、それでも3つの素晴らしい国宝をはじめ、お宝がたくさんあります。
 左上の東門は国重文です。室町時代に東大寺から移転されてきた四脚門です。右上は極楽堂(曼荼羅堂)で、国宝です。寄棟の屋根が大変安定感があり、美しく大きなお堂です。外観は鎌倉時代のものですが、内部には奈良時代に作られた部分も残っているとのことです。中は畳敷きの真ん中に厨子があり、まわりをぐるっと回れるようになっています。格子の天井も大変美しいです。
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 極楽堂の傍らには立派な収蔵庫(宝物殿)があります(左上写真)。この宝物殿、建物は立派ですし、収められているお宝も素晴らしいのですが、なんだか雑然とした印象があります。惜しい。中にある国宝の五重小塔はそれはそれは素晴らしいです。360度見ることができるので見入ってしまいます。
 ハイライトとも言える阿弥陀如来坐像は国重文で、平安中期の作。大きく立派です。上品下生の来迎印を結んでおられます。同じく国重文の聖徳太子十六歳孝養像は鎌倉時代の作で、それはそれは恐ろしいくらいの美しさを湛えています。
 右上の写真はもう一つの国宝、禅室です。極楽堂の裏手にある細長い建物です。現在の建物は鎌倉時代のものですが、内部の構造や部材に奈良時代の創建時のものが残っています。
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 左上の写真は極楽堂の瓦の一部で、飛鳥時代、奈良時代のものが今なお使われているとのことです。

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法隆寺 その3

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 薬師寺その2の項に記したように、2010年10月31日薬師寺東塔の見納めの日に夢殿の救世観音の開帳を狙って法隆寺にも行って来ました。薬師寺では雨は降っていませんでしたが、法隆寺では小雨になってしまいました。本降りになる前にと思ってまず夢殿に一目散。10月22日~11月22日の秋の特別開扉期間なのでさぞかし人は多いのだろうと思っていましたが、天気がよくないこともあってかあまり混んではいませんでした。
 右上の写真の向かって右側の開放された窓から救世観音が見られるのですが、写真でもわかるようにそれほど人がよってたかって押し合いへし合い見ているわけではありません。ていうか、参観者の多くは現在が年に2回の特別開扉期間だということがわかっていないようです。つまり救世観音目当ての参観者は多くはないようです。
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 救世観音は想像していたよりもずっとずっと金ぴかで、新しそうに見えます。そのあたりも参観者が素通りしてしまう要因なのかも知れません。樟製木造7世紀作の国宝はその特異な造形で見る者を圧倒します。特に宝冠からつながった光背と、仏像と言うよりは人間と言ったほうがよいお顔、摩尼宝珠を持つ手の奇妙な形、光背とバランスを取るかのような衣の裾の広がりなど、他では絶対に見ることのできない仏像です。
 アルカイックスマイルとよく言われますが、この救世観音、そして釈迦三尊像の釈迦如来、飛鳥寺の飛鳥大仏はどこか表情が似ています。みんな人間の顔だと思います。そして私はそれらがむしろ怖い表情のように見えます。圧倒的高みから人間の所業を見つめ嘲笑っているように見えるのです。罰があたるかもしれませんが、救世観音を見ながら改めてそう思いました。それだけ心惹かれてしまうということです。覆いに包まれたこの仏像を見たときのフェノロサや岡倉天心の驚きは想像を絶するものがあります。きっと飛び上がっておしっこちびっちゃったでしょうねえ。
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 いきなりベタな写真ですが、やはりこの五重塔と金堂のツーショットは鉄板です。ついシャッターを切りたくなります。素晴らしすぎる!前回来たときは、金堂の修理かなんかで釈迦三尊像は大講堂か大宝蔵院に移されていたと思いますが、今回は金堂内で見ることができました。
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 今回は大講堂(国宝)が大規模な修理を行っており、左上の写真のようにすっぽり覆いで囲われていました。中には普通に入ることができました。ここの本尊の薬師如来は薬壺を持つ典型な薬師様で、大変大きいです。蓮台が結構高いので余計に大きく見えます。右上は廻廊(国宝)の柱です。
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 もちろん大宝蔵院にも行かねばなりません。雨が結構ひどくなってきたのであまり境内を散策することもできずさっさと大宝蔵院でお宝鑑賞です。九面観音、夢違観音、橘夫人厨子及び阿弥陀三尊像、玉虫厨子などベタな国宝を鑑賞し、ハイライトの百済観音です。いつ見ても細く、薄く、長い、高い。両腕から裾まですーっとのびる鎌かなぎなたのような天衣、節のはっきりした竹(を模した木)で支えている光背、まさに酒瓶をつまむようなポーズ、精緻な透かし彫りの宝冠。そして、肩には甲冑というかアーマーを着けているような模様があります。これは、実は天衣に髪の毛がかかっている模様のようです。百済観音は救世観音に比べるとやさしい表情をしているように私には映ります。
 右上は中門(国宝)の阿形像です。

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薬師寺 その2

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 平成22年11月から薬師寺東塔は本格的な解体修理に入り、再び公開されるのは平成30年を過ぎるということで、なんとか今のうちにもう一度東塔を見ておかねばと思っていたのですが、せっかく行くのなら法隆寺夢殿の救世観音の公開に合わせて行こうと思い、ギリギリ10月31日滑り込みで行って来ました。まさにグランドフィナーレを飾る日です。
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 上のポスターのように10月31日まで特別公開ということで初層の内部を見ることができます。朝9時過ぎに現地に到着し、私はだいたい30分ぐらい待って入れましたが後ろを見るともうすでに長蛇の列ができており、それ以降に来た人たちは多分1時間ぐらい待ったのではないでしょうか。
 初層の開扉では、内部の柱の様子と天井画の様子が肉眼と鏡によって見ることができます。どうがんばっても3分以上は見るべきものはありません。中に仏像があるわけでもなく、絢爛豪華な天井画があるわけでもありません。天井画は宝相華という想像上の極楽に咲く花が散りばめて描かれているのですが、ほとんど判別不能で白い斑点にしか見えません。柱も「ほ~」と一瞬言って後の言葉が出てきません。そんなもんです。この日はあいにくの天気で雨こそ降っていなかったもののあまりいい写真は撮れませんでした。
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 せっかくなので金堂(左上)と月光菩薩(右上)も載せておきます。
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 せっかくなので日光菩薩(左上)と薬師如来(右上)も載せておきます。当然ながら堂外から望遠で撮っていますので人の頭が入ってたりします。
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 左上は大講堂です。写真からもわかるとおり巨大な建物です(金堂も十分大きいですが)。金堂を出たところからデジタル18mmでぎりぎり入る横長の安定感抜群の建物です。中には弥勒三尊像(重文)が安置されています。本尊の弥勒仏は弥勒菩薩ではなく弥勒如来と記されています。裏に回ると仏足石というお釈迦様の足の模様が刻印された大きな石が安置されています。これがなんと国宝です。
 大講堂の裏には東僧坊という休憩所みたいな建物があり、ここには右上の金堂薬師如来の台座のレプリカがあります。ここでこの台座の様々な文化の混じりあった意匠が再び学べます。
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 薬師寺の敷地を抜けて道路を挟んで裏手に回ると玄奘三蔵院があります。三蔵法師を祀る寺院です。今年は一年間ここの大唐西域壁画(平山郁夫画伯)を公開していますのでそちらも見てきました。中国だけでなく、アフガニスタンのバーミヤン遺跡など西アジアの壮大な風景がたくさん壁画となって掲げられていました。
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 薬師寺にはもう一つハイライトがあります。それは東院堂です(写真左上)。ここは白鳳伽藍を取り巻く回廊の外にありますのでなんとなく地味な印象がありますが、ここには右上の聖観音菩薩像があります。国宝です。この仏様のプロポーションも日光・月光にひけをとらない、完璧な美しさを持っています。渡岸寺の十一面観音に匹敵する美しさを持っていると言っても過言ではありません。また、四方を守る四天王も素晴らしい。ここの四天王はちょっとぽっちゃりしていて他とちょっと違います。さらにさらに、私がここで一番好きなのは四天王に踏まれている邪鬼です。ここの邪鬼たちは本当に可愛くお茶目です。特に増長天に踏まれている鬼は「夢見る乙女や~」と私は勝手に呼んでいます。
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 最後にせっかくなんで西塔と中門の二天王(のうちの一体)もアップしておきます(おまけかい)。

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安倍文殊院

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 安倍文殊院(あべもんじゅいん)は、聖林寺と同様桜井市にあります。聖林寺からは車で15分といったところでしょうか。安倍文殊院は645年(大化の改新の年)に安倍一族の氏寺として安倍寺が創建されたのが始まりです。文殊院と言うくらいですから知恵の神様ですし(神様っていうのも変ですが)、安倍仲麻呂や安倍晴明などに深い縁のあるお寺です。晴明神社にある星のマークもあります。まず入ると左上のように池に浮かぶ仲麻呂堂(金閣浮御堂)が目に飛び込んできます。金ぴかでいかにも怪しい建造物ですが、美しい眺めです。安倍仲麻呂の有名な「天の川 ふりさけみれば・・・」の石碑もあります(右上)。
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 境内にはいくつか古墳があり、左上の文殊院西古墳は玄室にも入れる大きな古墳です。安倍寺創建者の安倍倉梯麻呂の墓だと言われています。そして、右上の本堂があります。1665年建造、礼堂をもった建物です。この奥に本尊の文殊菩薩像があります。
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 訪れた時(2010年8月)は、特別公開が行われていました。左上の看板の写真を見るとわかりますが、ふだんは獅子の背中に乗っている文殊菩薩像が修理のためバラされて獅子の前に置かれているということです。「獅子から降りた文殊様」がありがたいのかありがたくないのかよくわかりませんが、文殊様が目の前で見られることはまちがいありません。右上の本堂の礼堂のすぐ後ろがちょうど文殊様の収蔵庫になります。チケットを買うとまずお抹茶とお菓子がふるまわれます。なかなか奥ゆかしい感じで出されますが、奥の方でなにか機械がウィーンとうなってから出てくるのは少し興ざめではあります。
 本尊文殊菩薩像は大きく、すごい迫力です。獅子に乗っていると7mになるそうです。像は快慶作で、1220年作の国重文です。先ほども書いたように文殊様がすぐ目の前で見られるのは大変ありがたいのですが、獅子のまん前のいらっしゃいますので、獅子があまりよく見えません。文殊様は大変美しいお顔で、何百年も前のものとは思えないぐらい彩色もきれいに残っています。装身具も細かい意匠で絢爛豪華です。さすが快慶といったところです。光背ははずされています。
 文殊様の左右にある善財童子像、優填王像、須菩提像は快慶作の国重文でこれらも実に写実的で躍動感のある素晴らしい像たちです。
 このほかにも敷地内には、安倍晴明が天文観測をした場所や合格門などがあり、受験生は訪れなければならない場所になっています(違うか)。

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聖林寺

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 聖林寺(しょうりんじ)は桜井市にあり、長谷寺からは20分ぐらいで行けます。また、談山神社からも近い場所にあります。談山神社はこれまで何度か来たことがあったのですが、時間が合わず聖林寺は今回(2010年8月)が初めてです。とても来たかった場所です。
 ここには国宝がありますので、さぞかし立派な敷地にあるのだろうと思っていましたが、そんなことはなく大変辺鄙な場所にあります。道を間違えると車でやっと通れる道を進むことになります。観光バスなどはどうやってくるのだろうと思ってしまいます。
 お寺そのものも、上の写真のように門があり、その向こうに本堂があるシンプルで小さなお寺です。
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 訪れたときは他の参拝客もほとんどおらず、受付の方もいらっしゃいませんでした。「すみませ~ん」と何度も叫んでやっと出てきてくださいました。
 本堂に入ると左の本尊子安延命地蔵菩薩があります。元禄時代作の丈六の石仏です。でかいです。顔が。愛嬌のある可愛らしいというか、怖いというか、そんなお顔をしていらっしゃいます。
 そして、本堂から少し高い場所に回廊が延びていてそれを上っていくと白いコンクリート造りの収蔵庫(観音堂)があります。
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 収蔵庫は開け放たれており、中には国宝十一面観音菩薩がいらっしゃいます。これを一目見たかったのです。760年作、木心乾漆像。日本を代表する十一面観音です。もちろん、堂内は撮影禁止です。写真はお堂の外から望遠で撮影したものです。中に入るとこの稀代の美しい仏像を間近でみることができます。また、横からも見ることができ、なめるように見てしまいます。色んな写真で見る限り、ふっくらとして、金箔の剥げ具合もあってなんか無愛想でブスっとしているように見えますが、そんなことはありません。実際は長身で(209cm)、すらっとしています。胸から下の引き締まった部分と腕の間の空間や、下半身とゆったり弧を描く天衣の間の空間などによりボリューム感を醸し出しています。お顔も大変おだやかで、静かに温かく衆生を見守っていらっしゃいます。指先のなまめかしい角度などを見てもここまで完全に残っていることに驚きを禁じ得ません。また、これを世に知らしめたフェノロサの功績は大きいと言えます。
 これだけのお宝がありながら実にのんびりとした空気が流れるお寺です。夏場は蚊にご用心。

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長谷寺

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 長谷寺は、奈良県桜井市にあり、宇陀市の室生寺からは車で30~40分の場所にあります。室生寺も立派なお寺でしたが、長谷寺のほうがスケールがでかいです。また、たいそう立派な門前町があります。室生寺は密教の修験場という感じですが、こちらはだいほんざ~んて感じです。右上の写真のように伽藍配置はかなり高低差があり、敷地も大変広いです。「花の御寺」というキャッチフレーズの通り、春や秋にはそれぞれ花や紅葉でさぞかし美しいと思われますが、訪れたのは真夏、木々は青々としていましたが、花はあまり見かけません(自爆)。
 まず、入り口の仁王門(左上写真)、黒々としており重厚で立派です。入母屋瓦葺の楼門です。
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 そして、仁王門をくぐるといきなり左上の登廊です。これがまたフォトジェニックというか、いい写真が撮れるんです。そして、侮るなかれ、これが結構きつい。伽藍の高低差を考えるとかなり登っています。一度クランクのように曲がっているので少しほっとしますが、結構な長さです。399段だそうです。そして、たまたま正午に訪れたので右上のように登廊の終点で若いお坊さんが法螺貝をふいて正午を報せる光景に出あいました。
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 登廊を登りきると鐘楼などがあり、そして左上の本堂があります。山の中腹に懸造りでへばりついている大きな建物です。本堂と礼堂がつながってできており(双堂〈ならびどう〉)、背後から見ると屋根のつながりがなんとなくいびつです(右上が斜め後ろから撮ったもの)。徳川三代将軍家光の寄進で1650年に建立された、国宝です。そして、この本堂には長谷寺のハイライト、十一面観音菩薩立像がいらっしゃいます。室町時代作、高さ10メートル超!!。木造漆箔の重要文化財です。金色に輝き、圧倒的な迫力で衆生を救ってくださっています。十一面観音には珍しく右手に錫杖を持ち、平らな石の上にお立ちになっています(いわゆる長谷寺式)。左手の水瓶だけでも巨大です。ちょうど像の前に礼堂があり、腰掛けられるのでずっと見ていたくなります(本当はここまで登るのに結構バテているからです)。ただし、足元からずずーいと見上げられるかと言うとそうでもなく、足元が見えず若干離れているので迫力はひょっとすると西大寺の十一面観音の方が上かもしれません(違うか)。向かって左には雨宝童子立像、右には難陀龍王立像が脇を固めます(ともに国重文)。
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 本堂を過ぎると御影堂があり、そして左上の一切経堂があります。見るからに経堂(経蔵)ですが、二層ではなく一層です。経蔵を過ぎて少し行くと右上の五重塔があります。赤く、真新しい塔です。昭和29年の作です。
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 左上は本坊あたりから本堂を見上げた図です。右上は普門院で、これは仁王門より外の参道脇にあります。塔頭でしょうか。中には国重文の不動明王が本尊として祀られています。
 冒頭にも書きましたが、ここには門前町があり、商店街になっています。ぶらぶらするのもまた一興。

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室生寺

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 女人高野として名高い室生寺。奈良県宇陀市のそれはそれは険しい山の中にあります。密教系の道場寺院らしいロケーションと言えます。しかし、自動車で行くと大してぐるぐる回ったりすることもなく、楽に行けてしまいます。いい時代です。
 太鼓橋を渡り、右に逸れていくと、左上の朱塗りの仁王門があり、中にはこちらから見て右側には真っ赤な阿形像(右上)、左側には吽形像があります。門自体が大変立派です。
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 鎧坂というそこそこの坂を登ると、その先にあるのが左上の金堂です。平安時代前期の建物で、国宝です。葺の屋根です。そして、この金堂の内陣には、お宝が満載。ふだんは左上のちょうど縁側みたいな所からしか中の仏像群を見ることができないのですが、ちょうど中に入って外陣から見ることができる公開を催していたので(遷都1300年祭の一環)、それに合わせて訪れたのでした。
 中尊の釈迦如来立像(一木造、平安初期、国宝)がその立派な光背とともに一際存在感を放っています。黒々とした地肌の色と、木の風合いむき出しの衣紋の色のコントラストが絶妙です。真っ黒なお顔に金色に輝く大きな白毫が目を引きます。また、漣波式と言われる衣紋のY字が美しいこと。この中尊の向かって右側には、薬師如来と地蔵菩薩、左側には文殊菩薩と国宝の十一面観音立像があります。十一面観音は平安前期の作で、子どものような優しいお顔をされています。5尊像の迫力は素晴らしいです。写真などで紹介されているようにライトアップしたらそりゃ奇麗でしょうが、間近で見られるとは言っても薄暗い中でしか見られません。特に十一面観音の頭上の仏面や彩色が残る顔、細かい意匠の輪宝、典型的な翻波式の裙などをじっくり見るには双眼鏡でないとわかりません。バッグに入れといてよかったと思う瞬間です。
 そして、5尊像の前面にずらりと並ぶのが十二神将です。寺のパンフレットには運慶作と書かれています。どれもそのポーズと表情が個性的です。小島よしおの「ピ~ヤ」みたいなのや、「われもう一回言ってみんかい」とすごんでいるようなのなど見飽きません。
 ちなみに右上の写真は、この内陣の特別公開のチケットを買うとおまけでついてくる十二神将のクリアファイルです。なんとチケットぐらいしか入らないサイズです。
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 そして、金堂から少し奥に行くと左上の本堂の灌頂堂があります。鎌倉時代の建物で、国宝です。屋根は入母屋になっていて、檜皮葺と思われます。はげはげではありますが、うっすらと朱が残っています。中には重文の如意輪観音が安置されています。大変立派な観音様です。
 さらにここから少し階段を上ると、右上の五重塔があります。ぱっと見、土門拳かと思われたと思いますが(嘘です)、撮影したのは私です。誰でも撮れます。庇の裏に白いラインが入っているのが特徴です。奈良時代の作で、もちろん国宝です。平成10年に台風で大打撃を受け、大規模な補修を受けました。屋外の五重塔としては日本最小というなんだかありがたいんだかありがたくないんだかの称号を誇ります。大変整った形で、小さくギュッと凝縮された美しい塔です。
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 五重塔を過ぎると後は階段を登って奥の院までの道のりです。私は室生寺の奥の院までは階段700段ということが頭にこびりついていて、奥の院まではさぞかししんどいだろうなあと思っていました。実際、左上のように果てしなく続く階段が見えるのでした。しかあ~し、700段のちょうど中間ぐらいかなと思うぐらいの所で右上の懸造の建物があり、その前にはもう奥の院があるではありませんか。
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 左上が奥の院、御影堂です。鎌倉時代作の重文です。瓦葺のように見えますが、厚板段葺というめずらしい屋根です。実は、五重塔までにすでに三百何十段階段を登ってきていたのです。だから五重塔から奥の院までは三百何十段だったのです。一挙に700段はきついけど、刻んでいくと結構イケるという実に人生の教訓のような道のりでした。そして、山から下りてくると右上のように五重塔を背後のちょっと高い位置からみることができて、これもまた一興です。
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 この他には、左上の弥勒堂が本堂の脇に建っています。鎌倉時代の重文です。中には国宝の釈迦如来坐像が安置されているとのことですが、それは見ることができませんでした。右上は、金堂の脇にある軍茶利明王の石仏です。これも見逃せない仏様です。

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秋篠寺

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 秋篠寺はもともとの創建は776年という長い歴史をもつ寺です。平城宮跡から北西に15分ほど車で行った場所にあります。周りは結構細い道に囲まれて、車が対向できないような場所があります。左上は東門で、境内の中には林がたくさんあり、建物そのものは大して大きくはないのですが、敷地は大きいです。残念ながら東塔、西塔は礎石だけですが、かつては大寺であったことを偲ばせます。また、右上のような苔むした地面の場所もあったりして、落ち着いた趣です。
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 上の写真は2枚とも国宝の本堂です。本堂は鎌倉時代の創建ですが、奈良時代の様式を完璧に模して造られています。低い屋根と下層部のバランス、屋根の緩やかな傾斜が実に安定感があり、とても美しい建物です。訪れた時はピーカンでしたので、写真のように青い空がバックだとひときわ美しさが増します。
 本堂を入ると、なんと土間になっており、うす暗くあまり広くない内部にずらりとお宝の仏像が並びます。中尊の薬師如来をはさんで、右側には日光菩薩、十二神将の内の六体、不動明王、帝釈天、愛染明王が並び、左には月光菩薩、十二神将の内の六体、地蔵菩薩、そしてそして、いちばん左にはここのハイライト、伎芸天があります。伎芸天は、全体のバランス、体の傾き、そして顔の傾きが絶妙です。なんとも言えません。これが1度でも違っていたらぜんぜん違う感じになっていたであろうというぐらい絶妙の傾きです。そして、その真っ黒のお顔の表情の美しさ。まさに東洋のミューズと言われるだけのことはあります。美しすぎると言っていいです。それが真っ黒なので恐ろしささえ醸し出しています。さらに驚くのは、頭部と体部の造られた時代が異なるということです。頭部は脱活乾漆造で天平時代の作で、その後被災し、その後鎌倉時代に体部を寄木造で補ったという変わり種です。とてもそんなことを感じさせない見事なバランスを保っています。この伎芸天のさらに左奥には五大力明王が鎮座します。
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 本堂の他には、左上の開山堂、そして右上の大元堂があります。大元堂には秘仏が安置されているそうです。なお、東門の他に南門からも出入りできます。

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海龍王寺

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 法華寺から歩いて5分ぐらいの場所にある海龍王寺。なんてったって海龍王寺(かいりゅうおうじ)、名前がかっこいいです、「怪獣王子」みたいで(笑)。割と狭い住宅街に溶け込んでいます。もともと光明皇后が731年に創建したということで、法華寺とも大変縁の深い場所です。左上の表門(十六世紀)をくぐると、土塀に囲まれ、外界と隔絶した参道(右上)があり、街中にあるにもかかわらず、一瞬にして独自の世界に導かれます。
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 それほど広い敷地ではありませんし、主な建物も本堂(左上)、西金堂(右上)、経蔵ぐらいのものです。参拝者も少なく、とても落ち着く空間です。本堂は17世紀の建物で、入母屋の角度が鋭角的でシャープです。中には、十一面観音を中心として、愛染明王、不動明王、毘沙門天、文殊菩薩像などが並びます。十一面観音は、鎌倉時代作の国重文で1m足らずの立像ですが、左手の水瓶を比較的高く掲げ、全体のプロポーション、腰のくねらせ方が実に美しいです。体全体に塗られた金泥と、実に精緻な造りの装身具がラグジュアリーな雰囲気を醸し出しています。文殊菩薩像は鎌倉時代作で、運慶作という伝えです。国重文で、さすがに美しい。同じく鎌倉時代の毘沙門天も大きくて立派です。
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 西金堂は建物そのものも国重文ですが、この中になんと国宝の五重小塔が収まります。高さ約4m、天平時代作という奇跡の工芸品です。天平時代の五重塔はこれ一基のみということです。高さ4mと言えど、その造り、組物などは完璧な造作です。すぐそばで写真が撮れます(多分)。
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 上層部にいくにしたがって徐々に細くなっていく塔身は、明らかに実際に数十mになる塔とまったく同じように設計されています。右上は国重文の経蔵です。高床の建物です。残念ながら中は見られません。
 ここ海龍王寺は、鳥の声だけが聞こえる、穴場的スポットです。

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