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槙尾山西明寺

 槙尾山西明寺(まきのおさんさいみょうじ)は、京都の嵐山・高雄パークウェイの北にあり、すでにエントリーしている神護寺から歩いて10分程度の場所にあります。神護寺とともに大変山深い場所にあります。この西明寺に車を停めて神護寺と両方参拝するか、神護寺側に停めてこちらにも来るかどちらかだと思います。それくらい近い位置にあります。ちなみに、同じ滋賀県の湖東三山にも西明寺はあり、すでにこちらでエントリーしていますが、名前が同じであるだけで無関係と思われます。神護寺とともに、紅葉の穴場的スポットです。824年~834年の間に弘法大師の高弟である智泉大徳が神護寺の別院として創建したのが始まりです。山際の狭いスペースに本堂、客殿、庫裡、鐘楼などが建っています。本堂は1700年に桂昌院の寄進により建立されました。本堂には正面の厨子に運慶作の釈迦如来像があり、重文に指定されています。いわゆる清凉寺式釈迦如来です。また、本堂内の別の部屋には平安期の千手観音像があり、これも重文です。頭上に10面の仏面を戴く十一面観音でもあります。手は42手です。立派な厨子に納められ、光背あわせて2mは超えるであろう堂々たる立像です。表情が大変美しく、全体的に黒々としており、透かし彫りが美しい舟形光背とあわせて威厳と深い深い慈悲のオーラを発しています。また、この千手観音の右に安置されている愛染明王も大変バランスの良い美しい造形です。こちらは今から600年ほど前の室町時代の作です。
 以下、2013年11月の紅葉アルバムです。
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駐車場から風情のある赤い橋を渡っていきます
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渓谷といってよい場所にあり、川の画も素晴らしい
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神護寺同様、11月10日前後に紅葉は見頃を迎えます
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階段の向うにある表門もとても雰囲気があります
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大きなお寺ではありませんがひなびた感じがまたいいんです
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赤や黄色の鮮やかな紅葉が見事です
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奥の建物が本堂です
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本堂と客殿の間から庭を望んだ図
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赤い紅葉と、山の常緑樹とのコントラストもすばらしい
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庭にある鐘楼です
 紅葉の穴場的スポットと書きましたが、朝9時くらいからすでに結構人出はあります。皆さんよくご存じのようで。しかし、たとえ紅葉時でなくても、川を眺めながら神護寺との間の道を歩いたりl、本堂の素晴らしい仏像を拝んだりでき大変心が和む場所です。
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高雄山神護寺 その2

 神護寺はすでにこちらでエントリーしています。神護寺の謂れはすでにそちらで書いているので省きますが、平安京造営の中心人物和気清麻呂が礎を築き、空海が14年間こちらで修行を積み、最澄ともここで交流し、また二人が袂を分かった場所でもあります。今回新しく分かったことは、現在の本堂、多宝塔などは昭和10年に反物で財を成したであった山口玄洞という人が巨額の寄進をしてできたものであるということです。
 訪れたのは、2013年11月11日で京都の紅葉にはやや早いとは思いましたが、高雄山ならと思いでかけました。ドンピシャでした。あいにく天気は照ったり曇ったり雨が降ったりと不安定な天気でしたが、紅葉はかなりきれいでした。季節物なので、早めにアップしときます。
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高雄橋 天気が悪く暗かったです
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楼門 とてもきれいでした
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楼門の右手にある書院
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楼門から境内に入ると広大な敷地
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右手の建物は五大堂です
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奥の建物は大師堂です
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金堂へ上る階段です
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金堂です
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金堂レベルから見たところ 定番のアングル
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葉っぱの向うに見えるのは多宝塔です
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多宝塔の初層です
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ここに来たらこれをやらねば かわらけ投げ
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急に天気が良くなる瞬間があります
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光と影のコントラスト
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わずかな晴れ間を逃さず
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和気清麻呂公霊廟です
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後ろにあるのは鐘楼(国宝)です
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楼門を境内から見たところです


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黄檗山萬福寺 その3

 京都は宇治に広がる大伽藍、そして日本の中の中国、さらに何となく漂うマイナー感と、マニア垂涎のスポット萬福寺の第3弾です。その1はこちら。その2はこちら。一応、今回のシリーズはこれで区切りです。
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 大伽藍の一番奥に位置しているのが、左上の法堂です。このあたりは禅宗寺院の定番ではあります。入母屋の大きな建物です。しかし、ここにも一筋縄ではいかない特徴があります。向かって右の方に見える丸い格子窓なども大変おしゃれです。
 そして、正面にある卍崩しの勾欄です。右上が法堂側から見たものです。卍崩しの勾欄は法隆寺の金堂などにも見られるものです。中国は明の時代の禅宗の寺院によく見られる様式なのだそうです。
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 左上の写真は、法堂の軒先の天井です。「黄檗天井」と呼ばれる、アーチ型の特徴的な造形です。正面の額には「獅子吼」の文字があります。釈迦が説法をすると、百獣の王の獅子も恐れをなして吼えたという逸話から来ています。
 この他にも萬福寺には様々な場所があります。右上の写真は壽搭といい、隠元大師のお墓で重文です。
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 左上の写真は、石碑亭という場所にある亀趺(きふ)という亀の形をした碑です。亀の甲の上には、後水尾天皇から隠元大師に贈られた碑文が刻まれています。
 右上の写真は、境内の東門になります。その向こうに見えるのは文華殿という宝物館です。訪れた時は閉まっていました。ここにも朱塗りの卍崩しの勾欄が施されています。
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 左上の写真は、祖師堂という場所にある、達磨大師の像です。達磨大師というと、でっぷりしてどこかユーモラスなイメージがあるのですが、こちらの達磨様はなかなかどうして怖い表情をされています。
 右上の写真は、開山堂をその門から眺めた所です。ジャッキー・チェンの昔の映画に出てきそうな場所です。
 とりあえず、萬福寺シリーズはこれで終わります。また新たな発見があればその4をアップします。

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黄檗山萬福寺 その2

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 エキゾティシズムのワンダーランド、萬福寺の第2弾です。その1はこちら。天王殿の脇から左上の写真のように背後に向かって左右にわたり廻廊があります。法隆寺のような感じです。廻廊の途中にも色々な見所の場所や部屋があります。たとえば右上の伽藍堂は廻廊の途中にありますが、いわゆる「がらんどう」の語源になる場所です。
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 この伽藍堂の中をのぞくと、左上のような部屋になっています。奥にはこれまた実に中国風な仏像、華光菩薩がいらっしゃいます。丸襟のコートのような上っ張りを着ていますが、これは皇帝など位の高い人に許された服装なのだそうです。表情も日本の仏像とはかなり違っています。また、写真ではよく見えませんが、眉間に第3の目が縦に付いていて衆生の悩みをすべてお見通しです。両脇の赤いのぼりや、前にある香炉も日本のそれとはかなり違い、色遣い、持ち手、脚などまさに中国そのものです。
 廻廊の途中に右上写真の開版(かいぱん)というものがぶらさがっています。これは、すぐ右に掛かっている長いばちのようなものを両手で持って思いっきりたたいて修行の合図をするものです。かなり大きなものです。木魚の原型なのだそうです。夜も眠らず目を見開いている魚のように、四六時中修行に励めよということなのだそうです。口には大きな球がありますが、これは自分の内面から出てきた煩悩を表します。売店ではこの開版のマスコットが売られています。なかなか可愛いです(買いませんでしたが)。
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開版の近くにこれまた天井からぶら下がる鳴り物があります。左上の銅製の盤で雲の形をしているので雲版(うんぱん)と言います。これも修行の合図に鳴らすものですが、雲は雨を降らすということで防火の意味合いもあるようです。
 廻廊を進むと右上の大きな建物があります。大雄宝殿(だいゆうほうでん)です。言わば本堂という位置づけの建物です。二層に見えますが、一層裳階付きの建物です。
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 大雄宝殿に入ると中央には、左上写真の三尊像がいらっしゃいます。真ん中が本尊の釈迦牟尼仏、両脇侍が迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、阿難尊者(あなんそんじゃ)という釈迦の十大弟子の中の二人の像です。写真では小さく見えますが結構大きな像です。
 そして、この内陣を囲むように両サイドの壁面には十八羅漢像がずらりとならびます。羅漢とは釈迦の弟子で悟りを開いた高僧を指しますが、日本では一般的には十六羅漢なのに対して、中国では十八羅漢のようです。この十八羅漢像、どれも大変個性的かつ躍動的で、荒々しいものもたくさんあります。その中で圧倒的に群を抜いて衝撃的なのが、右上の写真の羅怙羅(らごら)像です。見よこのエキセントリックな造形。胸を切り裂くと、そこに仏が宿っているというわかりやすいメッセージではありますが、あまりにグロ、いや失礼、とにかく衝撃的です。子どもが見たらトラウマになるかも知れません。少なくとも夢には出てくるでしょう。

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黄檗山萬福寺 その1

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 黄檗山萬福寺(おうばくさん まんぷくじ)(万福寺)は、京都府は宇治市にある禅宗のお寺です。黄檗宗といって、1654年中国福建省から隠元禅師(いんげんぜんじ)を招き、後水尾方法や徳川家綱のバックアップを得て創建した寺院です。隠元禅師はインゲン豆を伝えたとして有名ですね。もともと禅師が中国にいた時にいた黄檗山萬福寺と同じ名前の寺院を取り、この宇治の広大な敷地に伽藍を構える大寺です。そして、この寺でしか味わえないエキゾティシズムがいっぱいのワンダーランドです。おまけにこれだけ大きく、面白いお寺なのに参拝客があまりいない!もうゆっくりのんびり回れるすばらしい場所です。
 まず左上の写真の総門からしてもう日本ではありません。この屋根の重なり、そして奇妙なシャチホコ。この門の白塀の左の方に右上のような入口があります。そう、ここはもはや中国!な場所なのです。ちなみに、この総門を含め、ここで紹介する建物はすべて重要文化財です。
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 総門を抜けると左上のようなひし形の置石がこれまた異国情緒をそそる通路があり、その脇には江戸時代の女流俳人菊舎(きくしゃ)の詠んだ「山門を出れば日本ぞ茶摘みうた」の句碑が建っています。まさに言い得て妙!その通り!そして、その先に右上の三門があります。大きな大きな門です。立派です。全体の造りは日本の寺院によくある二層の三門という感じなのですが、屋根の真ん中に宝珠があり、鬼瓦がシャチホコのようになっていて、中国的です。ちなみに、このチャチホコのようなものは実はマカラという想像上の生物でワニのようなものなのだそうです。組物すばらしく、本当に立派な門です。
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 門を抜けると先ほどのひし形の石が並ぶ通路が再びあり、その正面に左上の写真の天王殿(てんのうでん)があります。建物そのものは柱の朱色を除いてはまあまあ普通です。しかし、近づいていくと・・・。正面に右上の布袋様がで~んと座っておられます。この布袋様は比較的有名なのではないでしょうか。布袋様は、中国では弥勒菩薩の生まれ変わりなのだそうです。一見、にこやかで楽しそうな表情に見えますが、よく見ると結構怖かったりします。
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 そして、建物の中に入ると四隅に四天王がいらっしゃいます。このあたり結構見所だと思うのですが、あまり人がおらず写真も撮り放題です。ありがたい。左上の写真は持物からして多聞天と思われます。同様の意匠の四天王が4体あり、写真だとよくわからないかもしれませんが、これがみんな超短足で笑かしてくれます。シリアスな表情とのギャップは大きいですよ。
 そして、布袋さんの真裏に回ると右上の像があります。韋駄天です。これはとてもスマートでしゅっとしています。しかし、やはりどこかエキゾティックではあります。その2に続く。

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宝菩提院願徳寺

 宝菩提院願徳寺(ほうぼだいいん がんとくじ)は、京都市西京区の山手にあり、「地図に載らない小さなお寺」を売り物にする寺院です。創建は白鳳時代679年に持統天皇の発願によるものです。
 嵐山からさらにさらに西に向かい、これより西はもう山しかないという、一般的に考える京都のイメージとはかけ離れた、それはそれは辺鄙な所にあります。近隣にはさして有名な観光地もなく、だいたい普通京都に行こうと思う人が嵐山より西に行こうとは思いません。ですから、2013年のゴールデンウィークに訪れたにもかかわらず、参拝客はほとんどありません。
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 数台が停められる駐車場に余裕で駐車し、左上の写真のような階段を登るとお寺の門に着きます。門は開いているわけではなく、インターホンで拝観したい旨を告げます。すると、ご住職(だと思う)が「仏像の拝観だけしかありませんよ。それでもいいですか。」とおっしゃいます。望むところです。仏像の拝観のためだけにはるばるやってきたのです。
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 ご住職の案内で、本堂(収蔵庫)に入ります。左上の写真がそれです。いかにも収蔵庫といったコンクリートの建物です。ご住職が鍵を開けて、一緒に入ってくださり説明をしてくださいます。真ん中に厨子があり、その両脇にいくつか仏像が並んでいます。しかし、もう入った瞬間その厨子の中の仏像に目は釘付けです。国宝如意輪観音半跏像です。貞観時代(平安前期)の作で像高88.2㎝と決して大きくはありません。しかし、その美しさたるや、日本一と言っても過言ではありません。しかし、どうもこの本尊にライトがうまく当たっていなくてよく見えません。何かあるな、と思っていると、住職が「明かりを消します」とおっしゃって部屋が真っ暗に。次の瞬間、中央の如意輪観音半跏像がライトに映し出されるというなんとまあ憎い演出!そのあとはじっくり拝見することができます。全体のバランスが人間と同じなので全く違和感がない美しいポーズ。下半身を覆う裳の見事な立体感。美しい指先。そして、一点の曇りもない、完璧な美を具現するお顔と表情。あまりに完璧すぎて見ている下界の者はただただひれ伏すばかりです。もちろん、双眼鏡で隅々まで観察させていただきました。残念ながら前からしか見られませんが、そばに掲示してある写真をみると後姿のまあなんとセクシーなこと。条帛が背中でクロスして、まるでセレブのカクテルドレスのようなことになっております。思わず一枚200円もする絵葉書を買ってしまいました。
 このご本尊以外にも、美しい放射光背をもつ藤原時代の薬師瑠璃光如来(重文)や鎌倉時代の聖徳太子二歳像、青不動明王の掛軸などがあります。本当にこれだけのお寺なのですが、はるばる見に行く価値は十分あります。私自身最近雑誌で知って絶対見たいと思ってやってきたのですが、今後ブレイクの予感がします。
 お寺の前で翻って眼下を見渡すと、右上の写真のように結構高い場所にあることがわかります。

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神童寺

 北吉野山神童寺(きたよしのさんじんどうじ)は、京都府木津川市にあり、何度も述べていますがエリアとしては奈良寄りで、海住山寺に近いと言えば近い場所にあります(山をはさんでいますが)。
 神童寺は寺伝によればもともと聖徳太子が開き、その後役行者(えんのぎょうじゃ634-701)により確立されたとのことです。谷合にあり、とても狭い道の袋小路のような場所にあります。道から本堂まで少し階段で登らなければならず、車をとめておく場所もなく、切り返すのもやっとの所にあります。
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 階段を少し登ると左上のような門があり、その向こうに本堂があります。右上が本堂正面です。本堂は室町時代の建物で、重文です。庇の足の部分が大変長い、流麗な屋根の形状です。大変静かな場所にあり、あまり訪れる人もいません。庫裡で拝観のお願いをすると快く応じていただけました。
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 本堂の裏に案内され、少し上った所に左上の収蔵庫があります。まず目を引くのは本尊の蔵王権現像です。像高3m弱の大変立派な像です。また、金や赤や青の彩色がかなり残っており、とても迫力があります。他にも堂々とした阿弥陀如来坐像(重文)、愛のキューピッドのように矢を射る(笑)天弓愛染明王(重文)、螺髪がいっぱいあって子どものようなお顔で膝が出ている不動明王(重文)、さらに毘沙門天像(重文)、日光菩薩像(重文)、月光菩薩像(重文)と小さな収蔵庫の中にはもうお宝満載です。素晴らしい。あまり人がいないのでじっくり見られると思います(たまたま訪れた時に人がいなかっただけかもしれませんが)。
 右上の写真はこの収蔵庫から本堂の屋根越しに撮ったものですが、少し高い場所にあり、このあたりが谷合の集落であることがわかると思います。

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岩船寺

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 高雄山岩船寺(こうゆうざんがんせんじ)は、京都府木津川市の当尾(とうの)の里と呼ばれる地域にあります。浄瑠璃寺と同じエリアにあります。浄瑠璃寺の圧倒的な国宝の数にかすんでいますが、岩船寺も見どころの多い寺です。浄瑠璃寺からは2.4kmの距離にあり、いろいろなガイドを見ているとこの間の野辺の道を歩いて移動すると石仏がたくさん見られる素晴らしいハイキングコースのようです。しかし、車で移動しているとどうしても行って帰ってこなくてはならないので難しいです。浄瑠璃寺のエントリーでも書きましたが、京都といいつつほとんど奈良といってよい場所にあります。また、当尾を「とうの」と発音するのは変だと思っていたのですが、「とうのお」が縮まったのではないかと個人的に思っています。
 寺は山あいにあり、木々に囲まれています。駐車場から少し石段を上ると左上の山門があり、その向こうにはもう三重塔が見えます。境内に入ると右上の本堂があります。
 本堂にはお宝がたくさんあり、ご住職が冗談を交えて説明をしてくださいます。まず圧倒的な迫力で迎えてくれるのは阿弥陀如来坐像です。3mはゆうに越えようかという立派な丈六仏で重文です。いわゆる定朝様の平安仏です。どっしりと安定したフォルム、気高くおだやかなお顔、ふくよかな体と腕、少し残る金箔、大きすぎない二重光背など、すばらしい仏像です。他には、象の上に乗った普賢菩薩の目がとても特徴的な騎象坐像(平安時代、重文)や、とても男性的で荒々しい四天王像(鎌倉時代)、小ぶりながら整った意匠の十一面観音立像(鎌倉時代)などがあり、国宝がないだけで素晴らしい内容です。
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 ここのもう一つの見どころは三重塔です。上の写真のように木々に隠れるように建っています。1442年(室町時代)の建立の重文です。近年大規模な修復があったらしく、写真のように大変きれいな朱色になっていました。
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 訪れた時、ちょうど三重塔の初層が開扉され、左上の写真のように復元された内部が公開されていました。また、右上の写真のように屋根の垂木を支える可愛らしい邪鬼もいます。
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 境内にはこのほか、左上の十三重石塔(鎌倉時代)や、右上の石室不動明王(鎌倉時代、重文)などがあります。
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 山門を出たすぐのところには、左写真の白山神社があります。これも重文です。
 浄瑠璃寺に比べると地味ではありますが、見るべきものはたくさんある場所です。また、ここは花の寺としても知られ、春先や初夏の季節のいい時期に訪れるときれいだろうと思います。

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浄瑠璃寺 その2

 浄瑠璃寺はすでにエントリーしています。
 平成24年11月、海住山の特別公開に行った折に比較的近くにある浄瑠璃に寄らない手はないと思い、またまた訪れました。これで3回目の訪問となります。
 簡単に浄瑠璃の概要を記しますと、まず何と言っても九体阿弥陀如来(くたいあみだにょらい)という、そこそこ大きい9体の国宝が横一列にずら~っと並んだ圧巻の本堂は何度見ても飽きません。特に中尊はひときわ大きく、千仏光背と言われる小さな仏様が無数にくっついた光背がこれまたすばらしく迫力満点です。
 本堂にはこの9体の国宝阿弥陀如来の他、両隅にこれもすべて国宝の四天王が4体あり、その他にも3体の重文の仏像があります。さらに、今回は秘仏の吉祥天女像(重文)の特別公開期間だったのでこの厨子が開扉されていました。こちらはつるんとしたお顔に凝った意匠の衣装(笑)で立体感がある像です。また、これもたまたまだったのですが、毎月8日のみ開扉される三重塔(国宝)の初層に安置される秘仏薬師如来像(重文、平安時代末期)も見ることができました。ラッキーでした。こちらは薄暗い初層に金色の像が浮かび上がり輝いていました。
 さらに本堂と三重塔の間にある池は宝池(ほうち)と言います。まさに薬師如来を擁する三重塔から池を経て阿弥陀如来がいらっしゃる西方浄土へ導くという彼岸への道を現世に出現させた世界が広がっているのです。。
 11月上旬だったので紅葉はあまり期待はしていませんでしたが、そこそこ色づいている木々もありましたので、本堂、三重塔、宝池を中心にアップします。平日だったのですが、けっこうな人出がありました。
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二尊院

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 二尊院は、正しくは小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)と言い、平安初期(830~840ごろ)に嵯峨天皇の勅願で開山され、明治以降は天台宗に属する寺です。京都嵯峨野にあり、常寂光寺などから歩いてすぐです。
 訪れたのは2012年3月ですので、随分溜め込んでいたことになります。一度放っておくとどんどん溜まっていき、アップするのが追いつかなくなっていきます(汗)。最近JRの「そうだ京都、行こう」のCMで二尊院が出てくるのでこの機会に上げておこうと(笑)。左上写真が総門で、室町時代創建です。大変重厚で立派な門で、伏見城の薬医門を移築したものです。この門を抜けると参道があり、その先が右上のように階段状になっています。一度JRのサイトと見比べていただきたいですが、この景色が紅葉時にはまあ美しい。我ながらこの右上写真の素っ気なさといったら。きっと今頃はたくさんの観光客で賑わっていることでしょう。
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 左上の写真は本堂です。室町時代に京都御所の紫宸殿を真似て造られたものです。大変大きく安定感のある建物です。そして、本堂の厨子の中に右上の二体の仏像がいらっしゃいます。二尊像です。むかって右が「発遣の釈迦如来」、左が「来迎の阿弥陀如来」と言い、このよく似た二体の仏様が本尊になっているので「二尊院」というわけです。鎌倉時代の作で、ともに像高78.8cmと小ぶりではありますが、どちらの仏様も大変上品で、ありがたみに溢れ、全体のバランスも完璧、またすばらしい曲線に彩られた光背がより一層その値打ちを高めています。ちなみに右上写真は相当離れた場所から撮っています。悪しからず。
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 私が訪れた時は、左上の九頭龍弁財尊天が特別公開されていました。あまり大きくはありませんが(30cm程度)、とても精緻な造りの彫刻です。また、本堂には右上の「法然上人の足曳きの御影」という絵があります。法然上人を描いた絵が衣の裾から片足が出ていたのでそれを見た上人が「これは無作法な」と恥じ入り南無阿弥陀仏と念じるとその絵の足がすーっと引いて見えなくなったという都市伝説を持つ重文です。ただし、この写真の絵が本物なのかレプリカなのかはわかりません。何も注意書きがないので本物かもしれません。
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 この他境内には、本堂に隣接して左上のような庭や右上の九頭龍弁財天堂などがあります。先の九頭龍弁財尊天は普段このお堂に安置されているものと思われます。

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海住山寺

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 海住山寺(かいじゅうせんじ)は、京都府木津川市にあり山号を補陀落山(ふだらくさん)といいます。京都府といっても木津川市は奈良に近く、浄瑠璃寺や岩船寺と同様奈良の文化圏にあると思われます。奈良公園などにも比較的近い位置にあります。ただし、車で行く場合かなり急勾配な山道を登らなければならないのと、途中で集落を通って行くのですがこれが車一台が通るのがやっとでさらに結構ぐねぐねしていますのであまり運転に自信がない方はおすすめしません。
 ここのハイライトはなんといっても右上の国宝五重塔です。実際の五重塔はもう少し暗く見えますが、HDRで暗部を若干持ち上げてみました。
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 2012年10月27日~11月11日にこの五重塔の初層が開扉されるということでそれに合わせて行って来ました。境内はまだ紅葉には早かったのですが、上の写真のようにところどころ色づいており、写真で見るといい感じになっています。
 平日だというのに結構な人出があり、みなさん狙ってこられていることがわかります。五重塔は1214年鎌倉時代の建立で上に行くほど屋根が小さくなる、とても安定したデザインで初層には裳階がついています。塔高17.7mとあまり高くはありませんが、どうしてどうして立派に見えます。
 初層の開扉では四方をぐるっと廻ることができます。初層の中心には厨子があり金色の多宝塔と四天王像が置かれ、四方に観音開きの扉がついており、その開いた扉の内側に絵が描かれています。玄奘、帝釈天、梵天などが描かれています。
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 左上の写真は本堂です。今回の特別公開のための展示なのか、常時展示されているのかはよくわかりませんが、中に入るとお宝がたくさんありました。本堂の厨子の中には本尊の木造十一面観音(重文)がいらっしゃいます。像高167cmで膝から下は厨子により見えません。平安時代の作です。腰が細く、その割にお顔はふっくらとされていますが、細い目、境界がはっきりしているきりっとした唇が特徴です。まわりを真っ黒な四天王(江戸時代)ががっちりと固めております。
 厨子の左右には、一辺1.5mはあろうかという両界曼荼羅が掛かっています。レプリカのようですが、本物は重文です。ここにはもう一体重文の十一面観音がいらっしゃいます。こちらは像高45.6cmと小さいのですが、台座が20cmぐらいあるので全部で70cmぐらいでしょうか。9世紀の作で、とてもバランスがよく全体に肉付きのよい大変美しい仏像です。普段は奈良博にあると書いてありましたので、今回の特別公開に合わせて展示されているものと思われます。また、ひときわ目を引くのが極彩色の四天王像です。4体とも鎌倉時代の作で重文です。こちらは像高が40cmぐらいの大きさで、色が鮮明に残っており、四角い岩座の上の邪鬼を踏んづけて立っている姿は、もうそのまんまフィギュアといってもおかしくない意匠です。それぞれの顔は、持国天が緑(青)、増長天が赤、広目天が肌色(白)、多聞天が黒と塗り分けられており、それぞれの方角を示す色であると思います。これが小さいスペースに4体揃っている姿は壮観です。
 他にも大きくはありませんが、立派な蓮華座と舟形光背をもつ平安時代の阿弥陀如来像などがあり、目の保養になります。
 右上の写真は、本堂のそばにある文殊堂です。この建物そのものが鎌倉時代建立の重文です。もともとは経蔵だったようです。中には海住山寺を開いた解脱上人の像があります。
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 少し奥に入ったところに本坊(写真左上)があります。本坊の詳しい謂れはよくわかりませんが、中には安土桃山時代の狩野派による襖絵、そして右上の庭園があります。庭園はもう少しすると(11月中旬から下旬)きっと紅葉がいい色になるのだと思います。
 kaijusenji07.jpg 海住山寺とは関係ありませんが、途中に恭仁宮跡(くにきゅうせき)があります。740年に聖武天皇が一時的に遷都を行った場所です。結局4年しかもちませんでしたが、その後も国分寺がおかれていたとのことです。左の写真はちょうどその国分寺の七重塔が建っていた礎石の跡です。だだっ広い公園のようになっていますが、往時の繁栄を偲ばせるってもんです。

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相国寺

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 相国寺(しょうこくじ)は山号を萬年山(まんねんざん)と称し、開基は足利義満、初代住職は夢窓疎石です。京都五山の第二位とされ、金閣寺も銀閣寺も何と相国寺の塔頭(たっちゅう:大寺の敷地内にある小院)です。創建年は1382年の臨済宗の禅寺です。京都御所のすぐ北にあり、同志社大学と同じ敷地と言ってよいロケーションにあります。
 ここで最も有名なのは左上の法堂(はっとう)です。豊臣秀頼が寄進したもので国重文に指定されています。法堂としては最も古いものとされ、他の禅宗の大寺(妙心寺など)ど同様、二層のどっしりとした安定感を誇る素晴らしい建物です。また、この法堂には狩野光信の筆になる龍の天井画があり、これも有名です(妙心寺の狩野探幽筆の雲龍図の方が有名かもしれません)。今回(2012年夏)私が訪れた際にはこの法堂は公開されていませんでした。
 しかし、それは承知の上、今回のお目当てはこれらの堂宇ではありません。そう、右上のフライヤーにある通り、相国寺承天閣美術館で開催されている伊藤若冲の企画展がお目当てです。
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 承天閣美術館は相国寺の境内にあり、大変立派で造りも凝った建物です。左上が入り口で、右上の写真のようにモダンな枯山水のような意匠があったりと建物自体も面白いです。
 さて伊藤若冲は、江戸時代の画家で色鮮やかで現実離れした精細さをデジタルな手法で描くことで有名です。日本の画家の中では孤高の位置を欲しいままにするワン・アンド・オンリーな存在です。作品の多くはアメリカのジョー・プライスという人が買い漁ってコレクションにしています。
 あまり知りませんでしたが、若冲はこの相国寺と大層縁が深かったということで、金閣寺の大書院の障壁画を50面も描いています。それらが一斉に今回の企画展では公開されています(重文です)。大量の襖絵は若冲のお得意の極彩色ではなく、水墨画のような表現ですが画家が只者ではないことはすぐわかります。1950年に消失した金閣寺においてこれだけ大量の障壁画が現存しているのはどうしてなのかはよくわかりません。
 そして、この展覧会の最大の目当て、釈迦・文殊・普賢三尊像です。これは大迫力です。大きい!釈迦如来を中心に、獅子に乗った文殊菩薩、象に乗った普賢菩薩の3連作です。一枚が縦2メートル以上はあろうかという巨大な絵です。上のフライヤーの写真がそうです。さらに今回はコロタイプ印刷という手法で印刷された複製が横に並び、圧巻の6連チャンです。精緻を尽くしたその筆致は近くで見ても細かすぎてよくわかりません。そこで活躍するのが双眼鏡です。ベタで色が塗ってあると思われる箇所が実に細密な点で描かれていたり、衣や装飾品の細かい意匠や模様などはもうびっくりするくらい見事です。妙にデジタルな新しさを感じてしまいます。コロタイプ印刷というのもまったく本物と変わらない再現性を誇っています。また、牡丹百合図では、美しい花を描きながら、枯れかけた葉や花弁、蜘蛛などの虫を巧みに忍ばせ、美しい花木も自然物であり、様々な生の営みの中でうたかたの美しさを見せているに過ぎないという、生あるもののはかなさを表しています。とにかく、時間をかけて見れば見るほど発見があるのが若冲の良さであることがよくわかりました。始め大人800円は高いぞと思いましたが、そんなことはありませんでした。すまぬ!
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 相国寺には他にも左上の経蔵(1860年創建)、右上の浴室(1596年)を始め多くの堂宇や塔頭があります。
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 最後に、鐘楼とその美しい組物のアップです。現在の鐘楼は1843年の再建です。いずれまたゆっくり訪れたいです。

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法輪寺(嵐山)

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 法輪寺は、京都嵐山のランドマーク渡月橋(左上写真)を天龍寺側から渡り、ほんの5分程度歩いた場所にあります。寺の草創は713年にまでさかのぼり、法輪寺と呼ばれるようになったのが874年と長い歴史をもつ弘法大師に所縁の深い真言宗のお寺です。奈良は斑鳩にも法輪寺がありますが、関係はありません。右上の写真が山門で、ここから少し階段を上りますが大したことはありません。また、別の道からも登っていけます。
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 左上の写真が本堂です。明治以降の建立です。境内はこの本堂と右上の多宝塔があるぐらいで、大きな伽藍ではありません。おとずれたのは3月だったのですが、ちょうど十三まいりという行事の真っただ中で、ちょうど小学校を卒業したぐらいの子どもたちがめちゃくちゃ正装をして親とたくさんお参りをしていました。私は恥ずかしながら不勉強で、この十三まいりという行事を知りませんでした、というか私の住む地方にこのような風習はないと思います。なんでも数えで13歳になる子どもが知恵と福を授かるためにお参りをするのだそうです。ちょうど、小学校の卒業式のコスチュームでお参りできるのではないかと推察します。
 右上写真は多宝塔です。昭和17年建立の新しいものですが、四手先の組物をもつオーソドックスな多宝塔です。
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 この寺の境内には、左上の電電宮という神社があります。なんでも電気電波の祖神を祀り、電気電波事業を守護しているとのことです。ん~、何かいかにもあやしいいわれですが、もともとは雷の神である電電明神という神様を祀っていたのだそうです(古くから雷が電気であることを知っていたのですなあ)。昭和31年に近畿電波監理局長がこの神社を再興し、さらに右上のように電電塔というものを建てその後ろにエジソンとヘルツのレリーフを設置するというなんともヲタなコーナーです。
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 この境内には、大きいなウッドデッキみたいなのがあり、結構高い位置にあるため見晴台となっています。そのあたりからちょうど紅梅、白梅を入れて建物を撮ってみましたので、それも載せておきます。

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常寂光寺

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 常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は、京都は嵐山、天龍寺から嵯峨野の道を北に少し進み、途中で西に入った大変のどかで田畑に囲まれた静寂の地に建っています。すぐそばに女の子がいっぱい観光している場所があるとは思えないのどかさです。開山は慶長元年(1596年)の日蓮宗のお寺です。
 左上の写真は仁王門で、本堂に向かう階段の途中にあります。両脇に、右上のような金剛力士像がありこれがなんと運慶の作と伝えられています。
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 仁王門をくぐると階段を登っていきます。階段の脇には左上の写真のようないい感じの苔むした斜面があり、こちらにも道があるので山道を登っていくこともできます。
 大した階段ではありませんが、登りきると右上の写真の本堂があります。慶長年間に桃山城客殿を移築したものだそうです。中には入れませんでした。裏が庭園になっています。
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 そして、本堂からもう少し登るとここのハイライト、多宝塔があります。1620年建立の重要文化財です。大変バランスがよく、黒々して重厚感があり、まさに秀麗そのものです。そして、この多宝塔のよいところは、斜面に建っているため、斜面を登っていくと右上の写真のように斜め上から見ることができるということです。2層目を間近にみられるのでいろんな角度からこのすばらしい建物を堪能することができます。
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 嵯峨野道から常寂光寺に行く途中には、左上の野宮神社(ののみやじんじゃ)や、右上の有名な竹林を通っていくことになり、天気の良い日に散策をするには大変よい場所です。

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高雄山神護寺

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 高雄山神護寺(たかおさんじんごじ)は、京都の中心部から北西、嵐山からずずーっと北に登った山深い場所にあります。京都南インターからもかなり(1時間近く)かかります。途中の道も結構細くて、ナビがないとなかなか行きにくい場所にあります。嵐山‐高雄パークウェイで行くといいドライブになるのかもしれません。
 神護寺の発祥は古く、平安遷都の時期に和気清麻呂により草創されました。最澄や空海とも親密なかかわりがあり、密教において大変重要な位置を占める寺院でした。その後興亡を繰り返し、現在の建物は17世紀の再建のものと昭和の再建のものがほとんどです。
 神護寺の手前にあまり大きくはない駐車場があり、そこから左上の赤くてきれいな橋を渡り、階段を登っていきます。少し登ると右上の楼門が見えてきます。紅葉時にはさぞかしきれいだろうと思います。
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 楼門は1623年の作で、三間一戸で左右に左上のような像があります。形状からして、金剛力士像ではなく、四天王のうち持国天、増長天を飾るいわゆる二天門かもしれません。そして、楼門を抜けると意外なことに結構山を登ってきたにもかかわらず広い場所にでます(右上)。急にぱ~っと開けた感じがきれいです。
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 この広い参道を歩いて行くと多くの堂宇に出会います。左上は毘沙門堂で、1623年創建の建物です。内部に重文の毘沙門天が安置されているようですが、私が行ったときは公開されていませんでした。右上は大師堂です。重文の建物です。この建物は他の1623年建造の建物よりやや古いようです。
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 左上の建物は毘沙門堂の後ろに建つ五大堂です。これも1623年の建造です。右上は階段の上から五大堂(手前)と毘沙門堂(奥)を見た所です。大変美しい景観です。
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 そして、その階段の上にあるのは左上の金堂です。金堂自体は昭和9年の建造です。朱塗りが鮮やかで石段越しのながめが大変よろしい。右上は金堂の軒から裏の多宝塔を眺めたアングルです。そして、この金堂に今回の最大のお目当て、国宝木造薬師如来立像がいらっしゃいます。これを見に来たのです。薬師如来は内陣のはるか彼方に安置されており、外陣からはたいそう遠く感じます。横に回ると幾分近くから見られますが、正面から見ようとするとかなり遠いです。そこで双眼鏡が活躍します。薬師如来は噂に違わず怖い顔をしておられます。明らかに怒っています。この怖いお顔が見たかったのです。顔も体もふくよかで、首に何重も輪ができています。螺髪の頭が一段盛り上がってヘルメットのようになっており、肉髻も大きいです。衣紋は清涼寺風です。薬師様は厨子に安置されており、その左右には日光、月光菩薩、そしてその外には6体ずつの十二神将という薬師チームの王道をいきます。さらにその外側には左右に四天王、さらにその外には右に如意輪観音と大黒天、左に地蔵菩薩と弁財天という実に左右のバランスをよく考えた配列になっています。十二神将と四天王は意匠が大変似通っており、かつらをかぶったような異形の神々です。
 そして、金堂の中には見なれた絵があります。そう、国宝の絹本着色源頼朝肖像画のレプリカです。結構大きな絵で圧倒されます。
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 左上は金堂の裏にある多宝塔です。多宝塔自体は金堂同様昭和9年建造です。この内部に国宝の五大虚空像菩薩坐像(もちろん5体)が安置されています。残念ながら公開はされていません。
 他にも伽藍には様々な見所があります。右上は神護寺を創建した和気清麻呂公霊廟です。背後に見えるのは鐘楼でなんとこの梵鐘は国宝です。
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 神護寺のもう一つの特徴は「かわらけ投げ」です。左上の柵のからはるか下方の谷に向かって素焼きの皿を投げて厄除けをするというものです。右上は参道の途中にある「硯石」です。弘法大師が硯のかわりにこの石で墨を磨り、対岸にある額に筆を投げて書をしたためたという伝説が残る石です。

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広隆寺

2011年7月全面的に書き換えました。
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 京都太秦にある広隆寺。広い敷地を持っている割には街中にひっそり建っている感じがします。聖徳太子ゆかりのでもあります。創建は古く、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子の意を受けて建立したというのですから、600年あたりにまで遡るわけです。
 左上の写真は仁王門で太秦駅の前に建っています。右上は霊宝殿です。ここにお宝が満載です。
 広隆寺といえばそれはもう弥勒半跏思惟像と言っていいぐらいです。なんてったって国宝第1号です。つまり、初めて国の宝だと認識されたものであるということです。斑鳩中宮弥勒菩薩と大きさもポーズもよく似ていますが、あちらはミッキー頭で、こちらは少年ジャンプのキャラクターのような宝冠です(違うか)。私の大好きな光瀬龍・萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」に登場する弥勒も間違いなく広隆寺弥勒菩薩です。大学生があまりの美しさに指に頬ずりしようとして指を折ってしまったという逸話があるためか、異様に奥まった場所に展示されています。なぜにこれほどまでに遠くかつ暗くしなければならないのかとさえ思えます。どちらかというと小さな仏像ですが、このお方が56億7千万年後に末法の世を救う救世主なのです。「なぜそれほど長きにわたって待たなくてはならぬのだ」という阿修羅の叫びが聞こえてきそうですが、涼しいお顔で人の世の流れを見守っておられれます。弥勒菩薩は全部で3体並んで展示されており、この有名な弥勒の他にもう一体の弥勒菩薩が国宝です。
 以前来た時は弥勒菩薩以外にはあまり興味がなく印象も薄かったのですが、他にも素晴らしいお宝があります。まず、国宝不空絹索観音です。木造の天平仏です。大きい!美しい!ありがたい!の三拍子。迫力の3メートル越え。そのお顔のなんと平穏なること!破綻の隙もない六臂、両手に持つ錫杖の威厳と重厚感。説明には、「贅肉はないが、弾力性を感じさせる」とありますが、まさにその通り!うまい!
 続いて千手観音です。こちらも260㎝の大迫力。とにかく大きく見えます。木造で藤原時代。千手観音ですのでふつうは左右に21本ずつの手があるはずですが、かなり破損していて、右6本、左7本のみ残しています。その辺が重文どまりの理由ではないでしょうか。お顔はおだやかで汚れなき子どものようです。
 さらに巨大仏像三連発のトリを飾るのは、国宝木造十一面千手観音立像です。平安時代作。典型的な千手観音で左右合わせて42本の手があります。不空絹索観音同様、左右に錫杖を持っています。一つ一つ見ると実にバラエティに富んで面白い持物、ふくよかなお顔に小さな口の大変ありがたい仏像です。
 ちょうど弥勒菩薩のシリーズ物とこの巨大仏像シリーズが対面している形になっており、その他の二辺も巧みにシリーズ物で配列され、憎い演出となっております。
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 続いて、上の写真はどちらも本堂である上宮王院太子殿です。1730年の再建です。名前の通り、聖徳太子の遺徳を讃えるための建物です。謂われはよくわかりませんが、右上の写真のように看板のようなものがたくさん掲げられています。
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 続いては左上の講堂です。この建物は1165年に再建された、京洛最古の建物で重文です。正面の扉の格子みたいた隙間からのぞくと、そこには国宝阿弥陀如来坐像が安置されています。扉にくっついて見ないと見えないぐらいですので、あまり見ている人もいません。平安初期の作で、坐像で270㎝ですので立派な丈六仏であり、大仏と呼んでいいと思います。堂々たる姿です。説法印の印相を結んでおられます。さらに、左に虚空像菩薩(平安初期230㎝、重文)と右に地蔵菩薩(平安初期182㎝、重文)を従えて、この三体でも十分鑑賞と参拝の対象になります。あまりにひっそりとしていて、前回来たときは急いでいたこともあったのですが、全くスルーでした。お恥ずかしい限り。右上は、一番最初にある仁王門にいらっしゃる阿形さんです。

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観音寺(普賢寺)

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 京都府京田辺市のたいそう辺鄙な場所にある観音寺。普賢寺とも呼ばれます。草創は天武天皇にまで遡り、聖武天皇の命により増築されたのが直接のルーツであるととのことですので、現在は京都府に属していますが、完全に奈良時代の寺ということになります。写真でわかるとおり、本当に何もない所に建っており、写真の本堂と庫裏があるだけの小さな小さなお寺です。よほどここを明確に目指していかないと行き着けないような場所にあります。(京田辺市の中心市街からさほど遠いわけではありませんが)
 この小さな本堂に、なんとなんと744年まで遡る天平仏、国宝十一面観音が安置されております。この観音様、堂々とした体躯、表情はおだやかでふっくらしたお顔をしており、腰のくびれ、指の形、天衣のうねりなど、全国に7体ある十一面観音の他の観音様(例えば渡岸寺や聖林寺などなど)に全く引けを取らない、大変美しい仏様です。穴場といっていいでしょう。
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 左上は本堂の脇にある池です。右は本堂で買い求めた(家内が)、絵心経手ぬぐいです。かつて字が読めない人のために作られたものです。お釜の絵を反対にして「摩訶」となったりして笑かしてくれます。笑っちゃいけないのか?

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蟹満寺

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 蟹満寺(かにまんじ)は京都府にありますが、木津川市ですので浄瑠璃寺などと同様どちらかというと奈良に近く、歴史的にも奈良の文化圏に属すると思います。寺の創建は1300年以上前、白鳳時代に遡ります。
 上の写真の本堂と、本堂左の庫裏が中心の寺院ですのであまり大きいとは言えません。さらに、写真で見るとわかるとおり、本堂は大変新しく平成22年に落慶したばかりのピカピカです。
 だがしかあ~し。ここには、なんとなんと国宝の釈迦如来坐像がいらっしゃいます。お堂はできたてのピカピカですが、この仏様は創建当時、つまり1300年以上前の制作です。丈六の金銅坐像です。丈六の坐像ですので高さは2.4メートルあります。これがまたすばらしく美しい、完璧な造形の仏像です。たとえば、飛鳥寺の飛鳥大仏はやや癖のある表情をしておられますが、こちらはとにかく美しく、端正な仏像です。半跏趺坐で座り、与願印、施無畏印を結ぶポーズですが、螺髪や白毫がないので本当にツルンとしたお顔に堂々たる落ち着いた表情である意味とても新しく見えます。螺髪や白毫は欠損しているのではなく、もともとこういうデザインなのです。金銅仏なので表面がほとんど劣化しておらず(補修の跡は結構ありますが)、これが1300年以上も前に作られたとはにわかに信じがたいほどの不変性を持っております。
kanimanji3.jpg  さらに像にさわれる場所まで進むことができ、手の大きな水掻き(曼網相というんだそうです)がすぐ目の前で見られますし、足の裏に薬師寺の薬師如来のようなぐるぐるの模様も一切なく、とにかくどこまでも端正で平滑で美麗なその造形を堪能することができます。
 実は、全く訪問する予定はなかったのですが、たまたま奈良から戻ってくる途中に下道を走っていて道端の看板に「国宝」の文字を見つけて急きょ訪ねたのでした。訪れる人もほとんどおらず、観光スポットではありませんが、お宝は素晴らしいです。
 ちなみに、蟹満寺というヘンテコな名前の由来を簡単に。
 信心に篤い娘がおり、村人が大量の蟹を捕まえて食べているのを見て不憫に思い、蟹を全部買って逃がしてやった。その父も信心深く、大量の蛙が蛇に食べられているのをかわいそうに思い、ついでまかせで蛙を逃がしてやったら娘を嫁にやると言ってしまった。本気にした蛇は娘を差し出すよう求めたが応じなかったため、蛇は怒り狂って暴れだした。娘がひたすら観音経を唱えていると観音様が現れ、「とにかく自分の行いが正しいと信じよ」と告げた。すると急に静まりかえり、外に出てみると大量の蟹の死骸と、切り刻まれた蛇の死骸があったのだった。
 簡単に説明してもこれくらいが精いっぱい。

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浄瑠璃寺

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 京都の南端、木津川市当尾(とうの)という場所にある浄瑠璃寺。住所は京都府ですが、実際は奈良と言ったほうがよい場所です。奈良の中心から意外に近い場所にあります。が、山奥のそれはそれは寂れた場所にあります。時間があれば、のんびりと散策しながら歩いてみたい場所です。駐車場から山道に入り、5分ぐらい歩くと左上の門があります。門を入ると右手の奥に本堂があります。平安後期、1107年に建立されたこの本堂そのものが国宝です。
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 まわりは木々に覆われ、本堂の前には池(宝池)があり、ひなびた中にも落ち着いた凛とした佇まいを湛えています。本堂には、浄瑠璃寺の主役、九体阿弥陀如来坐像があります。保存のためか、極力光度を落とした薄暗い中に浮かぶ9体の国宝阿弥陀如来がずらりと真横に並びます。圧巻です。もうその場を離れたくなくなります。すべて平安時代の作です。中尊の阿弥陀如来が一際大きく、まさにセンターを張っています。来迎印を結び、堂々として存在感のある、王道をいく阿弥陀様です。また、さらに大きい光背にずらりとならぶ千体仏がまた細かくて圧倒されます。脇を固める8体の像も立派で、上品上生印を結んでいます。九体並んでいるのは、観無量寿経の中で、九つの往生があると説かれていることに由来するそうです。一つ一つが本尊級の立派な像ですから、小さな堂宇と相まって大迫力で迫ってきます。この他にも本堂には、四天王のうち持国天、増長天があり、不動明王のような火焔をまとい、立派です。2体とも平安時代作で国宝です。あまり大きくはありませんが、不動明王とこんがら童子とせいたか童子の像もあります。鎌倉時代作で重文です。
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 本堂の前にある宝池をはさんでちょうど真向かいに三重塔があります。国宝です。池と木々の合間の少し上の方に見える三重塔は赤く、美しい塔です。本堂側からみた三重塔も美しいですし、三重塔側からみた本堂も実に趣があり、美しいです。この二つの建物の間に池を配し、どちらからみても必ず手前に水辺がありそのバックに建物が見えるというレイアウトは実に巧みであると言えます。
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 三重塔には、秘仏薬師如来坐像(重文)がいらっしゃいますが、私が訪れた時は見ることはできませんでした。2010年現在、三重塔の修復が行われているようです。ちなみに私が訪れたのは2009年の10月です。

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南禅寺

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 南禅寺は、左京区哲学の道の途中にあり、1291年に創設された臨済宗(禅宗)の大寺です。亀山法皇が大明国師を招いて開基したものです。すでにコメントしている永観堂(禅林寺)のすぐ南にあり、歴史的に関係も深いようです。歴史的には2度の元寇の少し後ということになります。
 上の写真は2枚とも山門(三門)です。これは1628年に再建されたもので国重文です。南禅寺の一つのハイライトです。門と言うにはあまりに大きい、五間三戸、二重の門で左右には山廊もあります。2階部分にも高欄があり、拝観料を払うと上がることができます。また、歌舞伎で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と叫んだのがこの三門の2階です。
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 次のハイライトは法堂です。法堂は禅宗の本堂とも言うべき中心的な建物です。現在の法堂は明治時代に再建されたものですが、その落ち着き払った存在感は素晴らしいです。典型的な禅宗の法堂で、安定感と安心感を観るものに与えます。
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 そして、三つ目のハイライトである方丈です。方丈はもともと僧侶が生活する場所で、南禅寺は主に大方丈、小方丈の建物と、方丈庭園で成っています。左上の写真は本坊の入り口で、ここが方丈拝観の入り口になります。右上は拝観経路の始めにある大玄関で、唐破風つきの立派な門があります。またそこに至る石畳も苔むして趣のあるものになっています。
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 左上の写真が方丈庭園で、白砂には特に石などは置かれていませんが、写真の左端の部分に石組みが配されており、「虎の児渡し」と呼ばれています。右は、いわゆる枯山水様の石が配される中庭です。
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 方丈を拝観するとこれ以外にも左上の写真のような庭をいくつか観ることができます。
 そして、この古式ゆかしき禅寺の境内の中でひときわ異彩を放っているのが右上の疎水です。この煉瓦造りの水路、琵琶湖から水を引いてくるのですが、1891年に竣工しています。この広大な寺院と煉瓦造りの水路というミスマッチというかコントラストの妙というか、アンバランスさというか、初めて訪れる人はびっくりするのではないでしょうかねえ。
 ちなみに訪れた時期は写真を撮るには適していない季節でした。真冬です。寒ぅ~。

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大覚寺

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 大覚寺は真言宗大覚寺派の大本山で、旧嵯峨御所という名があるとおり、もともと嵯峨天皇の離宮で876年の創建です。天皇家の歴史と大変深いかかわりをもった寺です。とにかく広い敷地に観るべき建物がたくさんあり、ある程度まとまった時間が必要です。私は、先にレポートした清涼寺に車を置いて歩いて向かいました。近いとは言えませんが、15分から20分も歩けば着く距離です。左上がその名も式台玄関という玄関です。
 玄関から中に入るとまず、右上の写真は宸殿(しんでん)で、江戸時代の建物です。前庭には、「左近の梅、右近の橘」が配されています。
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 宸殿の中には、左上のような襖絵がたくさんあります。狩野山楽筆の「紅白梅図」で国重文です。右上の写真は御影堂から庭を挟んで勅使門を観た所です。この門は唐破風つきで、漆と金鍍金で装飾性の高いものになっています。
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 建物はずーっと廊下でつながっており、他にも御霊殿、五大堂などが続きます。左上の写真は霊明殿で、平成11年再建のきらびやかな建物です。これだけ派手な建物なのになぜかパンフにもWEBにも説明はありません。右上の写真は勅封心経殿で、大正14年建立です。夢殿を模して作られました。
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 いったん外にでると境内の東側にこれまた広大な大沢池があり、この周りをのんびりしたりするとさらにたくさんの時間を要します。そして池を右手に見て少し奥に進むと右上の心経宝塔があります。見てわかるとおりいわゆる多宝塔の形です。昭和42年造の鉄筋RC造です。
 大覚寺にはこれっ!といった仏像はありませんが、境内は広大で天皇家ゆかりの歴史を十分味わうことができ、多くの時間を費やすことができます。

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清涼寺(嵯峨釈迦堂)

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 清涼寺(せいりょうじ)は、正しくは五台山清涼寺といい、嵐山の少し北にある大きな寺です。近くには大覚寺や天龍寺といったさらに大きな寺があります。清涼寺式釈迦如来立像と言われるスタイルの釈迦如来像の本家本元がここにあるお釈迦様です。成立は945年まで遡りますが、それほど古い建物は残っていません。
 左上は仁王門です。写真で観るよりはるかに大きく立派な門です。右上はその中の阿形像です。朱色にペイントされています。門も仁王様もたいそう立派なのですが謂れはよくわかりません。
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 そして、左上がお目当ての本堂です。1701年再建の入母屋造で大きな建物です。中に入ると係の人が「ちょうど今お釈迦様が開帳されていますので、焼香をあげていってください」と促してくれます。促されるまま外陣からお目当ての国宝釈迦如来立像を拝見。37歳時の生身のお釈迦様を表す像としてインド~中国~日本と伝わってきたものです(三国伝来)。この像は985年頃の作です。笑えることに始め外陣からしか観ることができないと思い、結構遠くてかつ薄暗い位置から目を細めて観ていました。さらに双眼鏡まで出して「ほう、ほう」とか言って観ておりました。やがて、外陣の周りも観ようと移動し始めたら全く問題なく内陣まで入ることができ、もう本当に目の前で拝見することができました。確かにお像のすぐ前に焼香の場所がありましたわ。さぞかし、遠くから双眼鏡で観ている図は滑稽だっただろうと恥ずかしくなりました。釈迦像は決して大きくはありませんが、さすがに同様の様式を「清涼寺式」と呼ばせるだけあって、オーラが違います。お顔は以前レポートした戒光寺の釈迦如来像に似ているような気がします。衣の波紋はそれはそれは美しく、この時代によくこれだけ完成されたデザインに辿り着いたものだと感心してしまいます。
 釈迦如来像が安置されている厨子も本当に立派です。その精緻なデザインと技術は素人目にも素晴らしいです。五手先ぐらいの組物です。
 本堂の真裏から外に出ることができ、右上の写真のような廊下を通っていくと庭園があります。
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 裏の庭園には池があり、左上写真の弁天堂があります。またさらに廻廊を回っていくと右上のような枯山水の庭園もあります。ただし、これは苔が茶色いせいかあまり綺麗とは言えませんでした。
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 この他、境内には多くの建物があります。左上は1863年再建の阿弥陀堂です。右上は、1703年建立の多宝塔です。ちょうど紅梅が咲き始めた時期だったので、いい感じの写真が撮れました。
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 そして、もう一つ左上の一切経蔵があります。白梅ごしに撮ってみました。これもいい感じです。この建物は江戸時代中期のものです。正面には傳大士と、普浄、普現の3体の像がありますが、この真ん中の傳大士のうれしそうなこと。おまけに若者のようなVサイン!観ているこちらも和みます。そして、中には一切経の輪蔵があり、100円払うとまわさせていただけます。もちろん回しました。これまで一切経蔵はあちらこちらで観ていますが、輪蔵を回すのはこれが初めてです。意外に重い。でも一回転で一切経5,400巻読んだのと同じ功徳があるわけですからありがたきことこの上なし。最後に、梅と本堂のショットをおまけにアップしときます。
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大報恩寺(千本釈迦堂)

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 大報恩寺は千本釈迦堂という別名があるとおり、京都千本今出川の交差点の近くにあります。実はなぜか広大な敷地の寺院を想像していたのですが、大変狭い路地に囲まれた場所にあり、駐車スペースも大きくなく(というか、自動車が通れる道からはなかなかわかりづらいので)、車をどこにとめるのかわからずぐるぐる回ってしまいました(ナビ上ではとっくに着いているのにねえ)。
 この寺は、左上写真の本堂が国宝です。本堂は1227年の創建時のまま、応仁の乱など幾多の戦火を免れたお堂で洛中では最古の建造物です。中に入ると堂内の柱には応仁の乱の時についたと思われる刀や槍の跡がたくさん残っています。内陣の厨子に千本釈迦堂の謂れでもある行快作の釈迦如来坐像がありますが、秘仏で年に数回開帳になるようです。私が訪問したときは見られませんでした。
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 大報恩寺を特徴付けているものの一つに「おかめ信仰」があります。おかめといえば、ユーモラスな表情のお面で誰もが知っているキャラクターですが、その愉快で明るいイメージの裏に世にも悲しいストーリーがあり(長くなるので書きませんが)、その内助の功を讃えるとともに招福祈願の対象となっているのです。境内には左上のようにおかめさんの像やおかめ桜という枝垂れ桜があるほか、本堂の一角に右上のようないろんなおかめ像を展示する常設展(笑)をやっています。
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 そして、私にとってここの最大の魅力は左上の霊宝殿です。このやっているのかどうかわからない薄暗い宝物殿にびっくりするようなお宝が満載なのです。まず、快慶作の釈迦十大弟子像。これが素晴らしい。写実性というとどうしても運慶に負けている感じがする快慶ではありますが、そんなことはありません。ここにある十体の像の写実性は圧巻です。十体そろっている点もすごい。一体一体がまったく別の人格をもっており、その内面を明確に表現する表情、厳しい修行をうかがわせる筋肉や体のライン、衣の質感などなど10の別々のストーリーを雄弁に語ります。そして、反対側にずらりと並ぶ定慶の六観音像。定慶は、別名肥後別当定慶といい、運慶の子供の説がある仏師です。六体とも透かし彫りの大きく立派な光背をもつ、実に統一感の高いシリーズ物です。しかし、これも一体一体圧倒的な技量で迫ってきて、たとえ単品であってもそれはそれは美しい像です。聖観音は腰がしまり、端正なお顔が特徴です。千手観音は上躯に42本の腕を持ちながら、まったくバランスに破綻がなく、一本一本の腕の指先まで神経が行き届いています。十一面観音はお腹がぽっこりしていて親近感がわきます。顔はどこかユーモラスで、小学生の男の子みたいです。腰からたらした衣がイマドキの若者みたいでかっこいいです。准胝観音は腕が全部で18本あり、お腹に段ができています。などなど、一体一体が本当に美しく、個性的で大きく、魅力的なんです。快慶の十大弟子像も、定慶の六観音もすべて国重文です。
 この他にも大変きれいなお顔をもち、冠がカトリックの大司教みたいな大日如来金銅仏(室町時代)や、菅原道真自刻の説がある千手観音など本当に素晴らしいお宝が一杯あります。じっくり見ていると時間が経つのも忘れます。
 右上の写真は境内にある北野経王堂といい、もともとは経蔵で中には回転式の輪蔵があったようです。

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戒光寺

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 すっかり更新が滞ってしまいましたが、再開。2011年最初のアップとなります。ネタは結構たまっているのですが、一度サボるとずるずると・・・。まったく生活そのものです。
 さて、戒光寺はすでにアップしている京都泉涌寺の塔頭です。塔頭とは大きな寺院の中にある(あるいは付属する)小院といったところです。戒光寺は泉涌寺の参道(泉涌寺道)の途中にあるごくごく小さな塔頭です。1228年創建。実は、私も最初に泉涌寺を訪れた時は楊貴妃観音と仏殿、舎利殿が目当てで塔頭のことは全く頭にありませんでした。その後この戒光寺のことを知りあらためて訪れたのでした。ここは訪れる人も少なく、ひっそりとしています。
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 そして、この左上の何の変哲もない(ように見える)小さな本堂に上がってずずずいと内陣の方に寄っていくと・・・、一瞬そこにあるのが本当に仏像なのかさえわからなくなってしまう圧倒的な大きさで丈六釈迦如来立像がそこにいらっしゃいます。台座から光背の頂上までは何と10メートルを超えるんです。これがこの小さな堂宇に収まっているのです。ちょうど左上の写真で言うと手前の平屋の建物が本堂の座敷で、裏のちょっと背の高い建物にこの立像が安置されているということになります。
 運慶と湛慶の天才親子の合作です。あまりに素晴らしく、この素晴らしいお宝がなぜかあまり有名にならなくてこうやって知る人ぞ知る存在として知っている者だけがお目にかかれるということに感謝を禁じ得ません。もちろんご利益は全人類に及びますぞ。首のあたりにしみのようなものがあり、これが後水尾天皇(江戸時代)が暗殺されそうになったときに身代わりになってついた血の跡だという伝説があり、「身代わりのお釈迦様」と呼ばれています。すばらしい謂れをもった仏様です。光背の立体的なぐねぐねの造形も素晴らしい。
 境内は本当に狭いんですが、右上のような立派なお社(泉山融通弁財天)もあります。泉涌寺や東福寺に参拝される時は絶対に寄っていただきたい場所です。

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泉涌寺

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 京都東山を南下し、東海道線を越えて少し行ったところにこの泉涌寺はあります。読み方は、「せんにゅうじ」です。創建は鎌倉時代1226年ということですが、応仁の乱で伽藍は焼失し、現在の伽藍は江戸時代初期に創建されたものがほとんどです。左上の大門(国重文)をくぐって左の方へ行くと、この寺のハイライトである、「楊貴妃観音」が安置される楊貴妃観音堂があります(写真右上)。寄木造で、素木むき出しでうっすらと紅を引き、細い流し目で妖しく視線を投げかけ、絢爛豪華な装飾に身を包んだその姿はまさに楊貴妃を模したという伝説を生むに相応しい美しさです。本当の名前は聖観音像です。
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 楊貴妃観音堂は門の近くにありますが、門から下へ降りていくと、広大な敷地にすばらしく美しい堂宇が二棟現れます。手前が仏殿(左上)で、奥が舎利殿(右上)です。仏殿は1668年創建、一重もこし付入母屋瓦葺きの堂々たる唐様建築です。このいかにも仏殿然としたどっしりとした佇まい、屋根の圧倒的な安定感、黒々とした威容はまさに圧巻です。国重文。
 これだけでも大迫力なのですが、この建物の真後ろにこれまたでんと構えるのが舎利殿です。もともと御所にあったものを移築改築したものです。この二つの建物の迫力は圧倒的です。
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 この寺のもう一つの顔は、「御寺」という別名があるように、皇室と大変縁が深いということです。舎利殿のさらに奥には霊明殿、御座所、月輪陵など天皇家ゆかりの建物が並びます。あちらこちらに確かに菊の御紋が見受けられます。御座所に飾ってある写真等により、歴代の天皇陛下が訪れていらっしゃることがわかります。入り口近くの楊貴妃観音とはまた違った魅力があるお寺です。右上の写真は、舎利殿を右手手前に、仏殿を左手奥にして撮ったものです。

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醍醐寺 その2(上醍醐)

 下醍醐については、すでにアップしています。上醍醐も下醍醐も同じ日に訪れましたが、半年もタイムラグが生じてしまいました。それも、上醍醐までの道のりがしんどいものとして記憶の奥底に刻み込まれてしまったからか(笑)。
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 下醍醐から「1時間ぐらいでいけますよ」という言葉に、1時間ぐらいなら大したことないとたかをくくって登り始めてふだんから運動不足の身にはこれはもはや本格的な登山です。登りきると右上のような高さ、そりゃしんどいってもんです。しかし、すれ違う(あるいは追い抜いていく)人と交わす「こんにちは」も息も絶え絶え、参拝者の中には、「これが三百二十何回目です」というツワモノや、ビーサンにミニスカで登る豪傑までいて、自分のヘタレさがわかろうってもんです。
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 登り切ると、まず左上の清瀧宮拝殿があります(国宝です)。1434年創建で寝殿造りの手法で建てられています。唐破風のある気品に満ちたしぶい建物です。庇の右上にあるのが本殿です。
 この清瀧宮拝殿のすぐ脇に、醍醐水という湧き水のでるお宮があります。もともと、874年に理源大師がここを開く際に見つけた「醍醐なる味」のする水です。醍醐寺の醍醐寺たる所以ですし、「醍醐味」の語源でもあります。確かに美味なる(ような気がする)水でした。
 この少し上に准胝堂という建物があったのですが、2008年に落雷で焼失してしまいました。本尊の准胝観音は下醍醐の金堂に期間限定で公開されています。
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 そこから少し登ると薬師堂があります。国宝です。1121年の創建で、山上の伽藍では最古のものだそうです。小ぢんまりしたバランスのよいきれいな建物です。狭い敷地に建っていますので、屋根も含め全体を俯瞰する写真は撮れません。本尊の薬師如来、日光、月光菩薩(すべて国宝)は下醍醐の霊宝館で見ることができます。
 さらに少し登ると五大堂があります。昭和の再建で、特に指定はありません。それぞれ個性的な不動明王、降三世明王、軍茶利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の五大明王がいらっしゃいます。醍醐寺が別名「五大力さん」と呼ばれる所以です。密教の修験場の雰囲気がぷんぷん漂う場所です。
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 さらに登っていくといよいよゴールです。まず左上の如意輪堂があります。そしてその隣に開山堂があります。右上の写真は手前が開山堂で、奥が如意輪堂です。どちらも1606年豊臣秀頼によって創建されました。どちらも国の重要文化財です。如意輪堂は見事な舞台の上にたっています。開山堂は、上醍醐で一番大きな建物で、正面に唐破風のついた立派な建物です。
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 左の写真は、登山道もほぼ終点に近づいた所から見える如意輪堂(左)と開山堂(右)です。後から写真で見ると美しいのですが、ハアハア言いながらほぼ終点についた時点でこのような上に建物が見えるのでさらに萎えます。
 健脚の方にとっては何でもないのでしょうが、運動不足だと結構きついです。朝9時ぐらいに醍醐寺について2~3時間ぐらいで下と上を見て他のお寺を廻ろうと思ったのですが、結局醍醐寺を離れたのは2時過ぎでした。時間に余裕がある時でないととても見きれない場所です。

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退蔵院

 退蔵院は妙心寺の塔頭の一つです。すばらしい枯山水の庭園を持っています。室町時代の画聖狩野元信の築庭ということです。文句なしに綺麗な庭園です。また、国宝の瓢鮎図という山水画があります。退蔵院だけで拝観料が必要です。素晴らしい庭園の景色をどうぞ。
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妙心寺

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 妙心寺は京都市右京区にある、臨済宗妙心寺派の総本山です。1337年の創建です。日本最大級の禅宗のお寺です。我が家の宗派の総本山でもあります。近くには龍安寺、仁和寺、北野天満宮、少し足を伸ばせば金閣寺があります。左上の写真は、手前から三門、仏殿、法堂、大方丈という妙心寺のメインの建物を俯瞰したものです。右上は法堂です。大変立派な建物です。
 妙心寺には塔頭(大きなお寺の中にある坊のようなもの)が48もあるんだそうです。広大な敷地です。ここのハイライトは、やはり法堂と浴室(明智風呂)でしょう。
myoshinji3.jpg 法堂には、有名な狩野探幽作『雲龍図(八方睨みの龍)』があります。この天井画はポスターにもなったりしてよく知られていますが、天井一杯に描かれたその図は、圧倒的な迫力で見る者に迫ってきます。また、何気に国宝の梵鐘(698年製造!日本最古)が置いてあります。
 浴室(左写真)は、明智風呂とも呼ばれ、明智光秀の菩提を弔うために建てられたものだそうです。風呂と言っても蒸し風呂のようなもので、どのように沸かして、どのように入るのかとてもよくわかる作りになっています。法堂と浴室には拝観料が必要です。なお、妙心寺のご本尊は釈迦如来で、仏殿にいらっしゃるはずですが、仏殿そのものが公開されていません。残念です。
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 左上の写真は蓮池で、広大な伽藍には様々な見所があります。
 浴室から東に向かって蓮池を眺めながら進んでいくと、涅槃堂とという建物があります。檀家の納骨堂です。私の父もここに眠っています。

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醍醐寺 その1(下醍醐)

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 醍醐寺京都市伏見区にあり、市の中心部からはかなり南東の方角に位置します。したがって、なかなか寺社めぐりのルートに入れにくい場所にあります。また、あまりに広大な伽藍と見るものの多さ、さらに山の麓と山頂に2大伽藍を擁するとあって、よほど気合を入れていかないともったいない寺です。
 下醍醐(しもだいご)は、秀吉が贔屓にしていた素晴らしい景勝を誇る寺です。醍醐寺の平地に位置する伽藍の総称が下醍醐です。左上写真の荘厳な仁王門から入ります。写真のような立派な仁王様が出迎えてくださいます。
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 中に入るとまず、金堂があります。もともとの創建は926年ですが、その後焼失し、現在の金堂は秀吉の命を受け、他から移築され1600年に完成したものです。国宝です。本尊は薬師如来坐像です(右上写真)。なお、訪れた時は上醍醐にある准胝堂に安置されている准胝観音が金堂で開帳されていました。ふだんは5月の1週間だけのご開帳なのですが、今年は11月まで開帳されます。
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 金堂の近くには、五重塔があります。国宝です。951年の完成で、京都では最も古いそうです。もともと、朱塗りであったことを思わせる、そこはかとなく赤味がかった木の色合いが歴史の風雪に耐えてきた重みを感じさせます。また、相輪が大変立派で、全体に安定感を与えています。
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 他にも大講堂や弁天池など、広大な敷地には様々な建造物があります。一旦この伽藍を出て、三宝院という建物に向かいます。三宝院は元来座主が居住する場所だそうです。天皇家とのゆかりが深く、玄関の庇に菊のご紋があしらわれたりしています。唐門、表書院など、国宝や国の重要文化財がたくさんあります。庭園もすばらしく、時間があったらぜひここでゆっくりしたいところです。院の一番奥に本堂があり、国重要文化財の弥勒菩薩が本尊として安置されています。快慶作で、遠目にもその表情の美しさ、全体のバランスの良さは際立っています。
 三宝院を出て、醍醐寺の宝物館である、霊宝館に入ります。ちなみに醍醐寺は、本伽藍、三宝院、霊宝館の一つ一つに拝観料が必要ですのでご覚悟を。三館通し券をお勧めします。霊宝館にはその名の通り、醍醐寺のお宝がたくさん展示されています。絵画では、俵屋宗達の舞楽図(国重文)や国宝の五明王像。そして、仏像では、国宝の薬師如来坐像、同じく国宝日光菩薩、月光菩薩、重文の帝釈天騎象像、閻魔天像がずらりと一列に安置されています。これは、上醍醐にある薬師堂(国宝)から、災害を免れるために移されたものです。薬師如来坐像は大きいです。また、日光・月光菩薩も薬師寺のそれとはまた違った良さがあり、立派です。また他にも、同じく上醍醐の如意輪堂から移された如意輪観音(重文)や五大明王像(すべて重文)など、重量感あふれる素晴らしい仏像がたくさん展示されています。絶対に観ておきたい場所です。

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永観堂禅林寺

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 哲学の道、南禅寺のすぐ近くにある永観堂禅林寺。門だけ見るとよくわかりませんが、ここは広大な伽藍を持った立派なお寺です。紅葉時に訪れるとさぞかし美しいだろうなと思います。大玄関から釈迦堂に移動すると盛り砂をはさんで唐門(上写真右)をながめながら進みます。
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 そして、御影堂(上写真左)を通りすぎていよいよお目当ての阿弥陀堂です(上写真右)。ここまでたどり着くのに結構時間がかかります。どんどん不安になってきます。本当に辿り着けるのだろうか、「みかえり阿弥陀」に。辿り着けるんです。最後に辿り着けるんです。そこに確かにいらっしゃいました。みかえり阿弥陀。この世にも不思議な仏様。なんてったって仏様が顔だけ横を向いていらっしゃるんです。たとえどのような理由があろうと、このような仏様を造るのは相当な勇気というか信念が必要だったと思います。「このバチ当たりが~」と武田鉄也のお袋さんみたいに叱られそうです。正面から見ると結構遠いんですが、何かはにかんで、恥ずかしそうに顔を背けているかのように見えます。そして仏像の向かって右側にまわるとちょうど背けた顔の正面になります。こちらはかなり近くまで寄ることができ、今度はこちらがちょっと気恥ずかしい思いを抱きます。本当に観に来てよかったという思いに駆られます。
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 また、これらの建物の背後に、臥龍廊という階段状の回廊があり、それを登っていくと多宝塔があります。結構高い位置にあるので、京都の街が一望できます(上写真右)。しかし、階段を登りきったところは多宝塔の真下過ぎて塔そのものの全貌は見えません。入ってみないとわからない魅力満載のお寺です。

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