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達谷窟毘沙門堂

 みちのくシリーズ第4弾、達谷窟毘沙門堂です。
 達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)は、すでにエントリーしている毛越寺から一関に向かって車でものの10分も走った場所にあり、何もない田舎道を走っていると突然現れる印象です。しかし、その威容は圧巻。実に興味深い建物です。もともと801年に坂上田村麻呂が平定した蝦夷の輩がこの窟屋に陣を張っており、田村麻呂がそれらを成敗した後、この地に戦勝の礼に毘沙門天を祀るために清水寺のような懸造りのお堂を建立したというのが発祥です。坂上田村麻呂って歴史で習ったような気がしますね。源頼朝も平泉で義経を討ったあと、ここに立ち寄った記録があるようです。その後、堂は何度か消失、再建を繰り返し、現在のお堂は昭和36年の再建です。ちなみに、ユネスコ世界遺産「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」への登録は延期され、現在は暫定リストに挙がっています。
bishamondo01.jpgbishamondo02.jpg
 道路わきの駐車場に車を停めて、道を渡るともう左上の鳥居があります。「たっこくのいわや」とルビが振られていますが、漢字だけではとても読めません。石の鳥居をくぐると、右上の朱塗りの立派な鳥居があります。厳島神社の大鳥居のようです(違うか)。鳥居の向うに、もう岸壁にへばり付いた舞台の上に建つお堂が見えます。まさに神仏混淆の寺院です。
bishamondo03.jpgbishamondo10.jpg
 近付いていくと、このお堂がいかに奇天烈に建っているのかがよくわかります。おそらく自然にできた窟を利用して舞台を作り、その上にお堂を建てるというまさに自然との共存を高度に結実させた意匠は実にフォトジェニックです。自然の岸壁を利用して舞台を造るという手法は、関市の日龍峯寺もそうですから割とあるのかもしれません。
 右上の写真のように脇の階段からお堂の中に入ります。内部には内陣がありますが、あまり覚えていません(失笑)。名の由来となる毘沙門天はなかったと思います。奥に秘仏を収める厨子があります。
bishamondo06.jpgbishamondo05.jpg
 左上の写真はお堂を通り抜けて反対から見たところです。このさらに左の岸壁に右上写真の岩面大佛という磨崖仏があります。前九年後三年の役で亡くなった兵士たちを敵味方なく供養するために源義家が彫ったと伝えられています。顔の長さ3.6m、肩幅9.9mの巨大な磨崖仏です。
bihsamondo04.jpgbishamondo08.jpg
 左上の写真は毘沙門堂を正面から見たところです。手前にあるのが蝦蟆ヶ池(がまがいけ)です。毘沙門堂から少し歩く右上の姫待不動堂などがあります。「姫待」の謂れが書かれていますが、長くなるのでカット(自爆)。
bishamondo09.jpgDSC01297.jpg
 さらに少し歩くと左上の金堂があります。なかなか立派な建物です。平成8年にできたばかりの新しいもので、中には薬師如来がいらっしゃいます。
 右上の写真は毘沙門堂とは全く関係ありませんが、この近くにある一関市の厳美渓(げんびけい)です。何の予備知識もなく立ち寄ったのですが、大変景色のよい場所でした。近くには、「郭公だんご」といって川の上空にケーブルを渡してそこをかごが行き来して団子を運んだり料金を払ったりする、ほらよく旅番組で紹介されるあれのケーブルがかかっています。訪れたときはすでに店は閉まっていました。残念。
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